絵の具

 自分の中では今の不調をどうしてもストレスのせいにしたくない心理が働いているのかもしれない。自分はこの仕事が好きだからどんなに忙しくても対応できるはずだと言う思い込みが空回りしているだけかもしれない。そんなことを考えながら今日一日を過ごした。
 8時に出かけて、玉野教会のミサに授かった。今度赴任してこられた神父様はユーモアがあり、それでいて深い真理について説教される。気持ちが緩んだままミサに臨めるから、ミサが楽しみでもある。
 そのあとベトナム人たちを連れて尾道に出かけた。今朝出かける時には体調に自信がなく、実際県境を越えるあたりまではいつものように来なければよかったと運転中に後悔することしきり。しかし、たかが2時間コースのところに出かけることもできないくらい衰える自分を受け入れたくないがために、必死の思いで運転した。ところが福山あたりからもう少しで着くと言う安心感からか急に体が楽になった。そのままののりで、まだ暑い尾道の街を十分堪能してもらうべく、1日中ガイドで歩き回った。ここでもほとんど不快になることはなかった。ただ一度だけ、ソフトクリームを買ってくれて食べた時に若干腹具合が悪くなりかけただけだった。
 牛窓に帰ってきたのが午後6時だったから、結局10時間出かけて、この1か月くらい続いている言いようのないしんどさを感じていない。おまけにこの時間まで帰宅してから薬を作っている。肉体的には平日より疲れているはずなのにしんどくない。やはり自分では気が付かないけれど、いや気が付かないふりをしているだけのストレスを日々感じていたのだろうか。尾道の風景、幸せ満開のベトナム人達、帰路2時間も後部座席から肩をマッサージし続けてくれた献身。色のなかった日常に、ぽとりと絵の具が落ちてきた。