解散

 今日30年間お世話になった漢方の勉強会が解散した。たった一人極端に若造だった僕を受け入れてくれて、育ててくれた会だ。多くの先輩方が亡くなり、僕も上から数えたほうが早い年齢になっているので、そろそろ限界かなと思っていたところに、30年間教え続けてくださった先生が、結論を出された。30年と言ってもそれは個人的な数字で、先輩方は40年教えを乞うている。驚くべきことは、会の唯一の講師(先生)は大学を出られて程なく講師として岡山県にやってきてくれていたと言うから、その実力たるや他に追随を許さない。普通なら何年も修行をして人様に教えられるようになるものだが、大学を出てまもなくと言うのは漢方の世界でも非常に珍しい。当時僕はまだ会の存在すら知らなかったから、先生の若き頃を知らないが、よほど優秀だったのだろうと想像できる。
 最後の晩餐を摂りながら各人が先生へのお礼を言う時間をとった。お礼の言葉を述べずして別れる事はできないだろうと思って、温めていた計画なのだが、そのように計画してよかったと思った。それぞれの感謝の言葉に、各人の薬局人生が投影されるし、人格も現される。幸いにも「効かせたい一心」の仲間たちだから、惜別を超える未来が語られ、僕も少なからず奮起を促された。体力はもとより気力までが心もとなくなっている昨今だから、仲間たちの口から出る希望に便乗させてもらえた。
 各々が覚悟していたとはいえ今日を転機としなければならない。いざとなったときの駆け込み寺でもあった先生からこの年になって自立とはいささか遅すぎるが、その土地、土地にあった病気の解決方法があってもいい。悩める人の持っているバックグラウンドと共通のものを持っている薬局が役に立てる優位性を持っていることも考えられる。重ねた年齢に比例する知識を持っているとは言えないが、重ねた年齢に比例する知恵や処世術や価値観は持っている。そのどれかが役に立てればいい。そうしてこそまだまだ現場いにいることを許されると思う。
 先生や仲間と別れた帰り道、頭に浮かんだことを文字に直してみた。