無念

 胸が痛む事件が絶える日はない。今日も新幹線の中での殺傷事件を知って、怒りがこみ上げてきた。
 死ぬ人間が違うだろう。この世にもっとも必要とされそうな人が亡くなって、この世にいてはいけない人間が残っている。誰でも良かったなどと、気の小さい人間が言うような言葉を何度聞かされているだろう。誰でも良かったのなら、もっとも国民が喜ぶような人間を狙うべきだろう。大嘘つきや、太鼓もちなど、候補者は一杯いる。
 多くの同乗者が誰一人協力してくれることもなく散ったあの勇敢な男性は現代の日本ではとても珍しい存在だ。今の世で勇敢なのは実害が及ばない、身を安全地帯においている人間だけだ。現場での勇気など見たことがない。もっとも正義感からしてなく、欲望のためなら軍隊や警察をわが身のために使うことをいとわない気の弱い人間をトップにおいているのだから、下々が勇敢であるはずがない。汚く生きることが恥ずかしくない時代になったのだから、勇敢などと言う言葉は存在意義もない。
 恐らくごく普通の社会人、近所の子供に優しい微笑を送ってくれていたというから、いかつさなど微塵もなく優しそうな人だったのだろう。見るからにいかつそうな人間よりもはるかにこのような方のほうが強い。弱い犬ほどよく吠えるというが人間でも同じだ。毎日のように、その種の人間達の吠える声ばかり聞かされるから、亡くなった方の無念が輝き過ぎてしまう。