気配り

 水道の検針に来た女性が裏口でインターホンを鳴らした。我が家のインターホーンは2階でしか聞こえないという欠点があるが、姿がすりガラス越しに見えたので裏戸を開けた。開口一番「水道のメーターが壊れているみたいなんですが」と言うから、すぐに又出費かと、例のトラウマ(車を標識に当ててドアを取り替えた)が甦ったが、次の言葉で安心した。「何か、変わったことがありましたか?例えば家族構成とか」それなら思い当たることがある。息子夫婦が出て行ったのだ。「使われた量が半分になっているんですけれど」最初からそう言ってくれれば僕も一瞬いやなことを想像しなくてもよかったのに。「ああ、それなら分かります。息子夫婦が出て行ったんです。だからでしょう」故障ではなくつじつまがあう。「ああ、そうですか、何処に行かれたのですか?」この質問にはちょっと驚いた。嘗て薬を何度か取りに来た女性に似ていたが、ひょっとしたら初対面かもしれない。それなのに、えらいことに興味を示したものだ。「あそこのマンション」と隠す必要も無いので正直に答えた。「今度は、あそこのマンションのメーターが上がるよ」と僕が言うと、女性は笑顔を残してカブで走り去った。  ちょっとしたやり取りだったが、とても印象に残ったことがある。それは彼女のプロ意識だ。メーターの数値から何かあったと感じ、それを確認しにわざわざ面会したのだ。会社から指導を受けているのか、彼女の能力か分からないが、見習うべき点は大いにある。そのことを是非家族に伝えたくて、すぐに皆に話した。すると妻は、「2年前にその人は逆のことをわざわざ尋ねたよ。メーターが壊れているみたいですけど、何かあったんですか。倍位に増えていますけれどって」  こうした細やかな気配りは日本人特有のものか、或いは何処の国でも同じことか知らないが、ぎすぎすしがちな現代の空気にはなくしてはならないものだ。ちょっとした会話にも笑顔が付き物。そうした人間関係の中で暮らし続けたい。