無常

 「よう来たな(よく来たな)」が僕の祖父母の口癖だった。今なら車で50分で行くことができる母の里は、僕が子供の頃は船とバスを乗り継いで行っていたから、半日以上かかった。だから基本、長期休みしか行くことはなかった。でも逆を言えば必ず年に3回は行って、休みの期間中滞在していた。だから毎年2ヶ月は行っていたことになるし、母は僕たちを置いてすぐに帰ったから、正確に言うと預けられていたのだ。当時の薬局はとても忙しくて、5人兄弟の我が家では絶好の口減らしだったのだろう。第一声が必ず「よう来た」だったから、今でもはっきりと耳に残っている。祖父母は僕たちの到着をとても喜んでいたのだと思う。何故ならその後僕は、その挨拶をことあるごとに真似ていて、歓迎すべき人にはつい口から出てしまうから。  今日母を訪ねたら母はいい顔をして眠っていた。起こすことは出来ないからじっと母の顔を見ていたら、上記のようなことを思い出した。今から50年以上前の光景だ。母もまた僕の子供達を同じ心で慈しんでくれたのだろうと思うと、目頭が熱くなってきた。30年周期くらいで同じような光景が繰り返されているんだと指を折って数えてみると、後30年したら目の前で眠っている母のように僕もなるのだと不思議な気持ちがした。母だけではなく僕にも人生を終える日が着実に迫ってきていることを感じる。  僕は、何かを残すのではなく、漢方薬のノート以外は何も残さないようにしようと思っている。過去の無数の人間がそうであったように、一瞬地球に顔を出しただけのように思うのだ。全て無常なのだ。いくら力んで生きても所詮無常なのだ。