自転車

 今日ある若い女性が電車とバスを利用して訪ねて来てくれた。漢方薬をとりに来てくれたのだが、あいにく以前来てくれた時は僕がぎっくり腰で薬局に降りてこれなかったので会うことは出来なかった。普段は電話で話をする女性だから、なんとなく人間性はつかんでいたが、想像通りの女性だった。よく笑い、明るくて健康的な女性だった。人のよさがあふれ出ていて、どうして僕の漢方薬が必要なのかと思われるくらいだった。得てして多くのこの種の若者が僕の漢方薬を必要としがちだが、総じて繊細すぎるのだ。長所が方向を間違えて発揮されているだけのような気がする。  就職活動が始まるらしくて、もうすっかり忘れていた40年前の僕を思い出した。思い出して自分自身得るものもなければ、彼女の役に立つこともない。ただ、青春真っ只中のスリリングさは羨ましいと思った。ぞくぞくするのは風邪を引いたときだけの世代になると日常が平凡すぎて、多少の起伏も欲しくなる。  せっかく遠くから来てくれたのだから、牛窓を少しでも感じて帰って欲しかった。スタッフが案内することが出来ない時間帯だったので、自転車を貸してあげることを思いついた。次のバスが30分後に出るから、自転車で3分くらいの距離にある海を見てきてもらうことにした。瀬戸の鏡のような海が足元に広がり、運がよければ、大サギが岸壁で物思いに耽って海を眺めている姿や、小サギが民家の屋根の上で集会をしたり、鵜が海面から消えたりするのが見える。僕のお気に入りのスポットだ。  荷物を相談コーナーの椅子に置き、薬局の裏側の駐車場に回ってもらった。そして彼女に「これを貸してあげるから気をつけて行って来て」と自転車を出してあげた。黄色でちょっと派手だが、ちゃんと買い物籠もついているし、安全なように左右に補助輪もついている。倒れる心配もない。サドルが彼女に高すぎないのは確認していた。地面から30cmくらいだ。  それを見て彼女は「これは、ダメでしょう」と笑いながら言った。「そうかなあ、2歳児から乗れるんだけどなあ。頑張れば乗れるよ」