被害者

 昨日はよほど調剤が重なったとき以外は降りてこなかったのに、今日漢方薬の勉強会に行ったら娘がやってきた。昨日は発熱と喉の痛み、恐らく倦怠感で「基本休ませてもらう」だったのに、今日やって来たと言うことはそのどれもがかなり落ち着いたのだろう。僕らは自力で治すからいちいち原因を調べないが、B型のインフルエンザがはやっている施設に出入りする娘夫婦は感染の危険性はある。ただ、昨日も言ったように、治すのはそんなものには関係ないからどうでもいいのだ。要は如何に早く脱出できるかだけの話だ。折角の日曜日だから家で寝ていればいいのにと思うが、尊敬している漢方の先生の講義だから無理をしてまで聞きたかったのだろう。明日、仕事にやってきたときの体調で無理をしたのか、幸運にも早く治ったのか分かるが。  勉強を終え夕方帰宅すると、妻が布団で寝ていた。娘と1日遅れで風邪を引いたみたいだ。朝僕が出かけるときには「風邪を引いたかもしれない」と言っていたが、夕方には、かもしれないは取れていた。ただし、さすがに早く寝ることが出来たから、もうかなり治っているみたいだ。感染症を治すのに如何に横になり体力を温存することが有効かよくわかる。病気など所詮、自然治癒力でしか治らないのだから休むにかぎる。最高にして最良の治療だ。ただし労働者使い捨ての時代に、働く人間の健康より会社の生産性の方が優先されるのは火を見るより明らかだ。  車の中で音声だけ聞くようにしていたら、今日はやたら東北の番組が多かった。会社を国に置き換えて考えると、同じ理屈がまかり通っているのがよくわかる。東北人の存在そのものや東北人の健康、東北の産業などが簡単に切り捨てられているのがよくわかる。税金を投入して復興をと掛け声よろしきが、結局は東京の大資本が甘い汁を全部吸い取っているだけだ。東北の人達はおこぼれちょうだいで、大罪人達に一矢も報いない。あれだけの苦痛を強いられてなお従順だ。都合の良い人間にはなってほしくない。正義は彼らにあるのだから永遠の被害者にはなって欲しくない。