決別

 まだ薬局を開けていない時間に妻が「お姉さんが来られているよ」と階下から上がってきた。まだ頭の回転はそんなに落ちていない僕だが、その状況を理解するには一瞬の時間差攻撃があった。どんな顔をしていたか我ながら見ものだが、恐らくボーッとしていたに違いない。元々がボーッとしているのだからそれに輪をかけたらどうなるのか恐ろしいくらいだが、およそこの世のものとは思えなかったかもしれない。  と言うのは下の姉は横浜に住んでいて、横浜から突然訪ねて来るのは経験もないし、予想もつきづらい。ただ、僕ならやる。と言うより常套手段だ。それには二つ理由がある。サプライズで感動が倍になること、予定に縛られたくないこと。僕は1人で行動するときは行き当たりばったりが好きなのだ。自分の人生と同じだ。なんら計画を立てずに、行き当たりばったりで、最小の努力でやってきた。さすがに華々しいものを手にすることは出来なかったが、人生など力んで生きる必要はない、行くところは同じなのだからと言う冷めた人生訓は得られた。全てがうまくいき、多くを手にした人に比べて、なんて気軽だろうと最近は思うことが多い。この身軽さは意外と価値があるのではないかと思うようになった。  僕たちが幼少から叩き込まれた価値観との決別がやっと今出来始めたってことだ。それらからの解放は心地よい。体が少し言うことを聞かなくなった分を補って余りある。人様を傷つけない、鳥や動物を傷つけない、海や畑を荒らさない。親切をしてもらえばありがとうと言い、悪いことをしでかしたらごめんと言い、朝はおはよう、夜はお休み、それで人生は楽しいものになるのだと分かった。満腹よりも空腹のほうが力が出ることも知ったし、満たされるより足らずを嘆いていたときのほうが幸せだと分かった。些細なことに感動して涙を流す、そんな自分がいとおしくもなった。姉がいみじくも言っていた「永久に続くものなんてない。必ず変化する」と。何を思って言ったのか分からないが、力まないことを覚えたら、人生は楽しいものに変わる。