ワカサギ

 つい最近、テレビのニュースを見ていて「なんじゃそりゃあ」と「わかっとるじゃねえか」のどちらの感嘆詞を使うべきか迷う場面に遭遇した。恐らくその両方が正しいと思う。  そのニュースをもう一度確かめたかったのでインターネットで探してみたらすぐに見つかった。そのテレビニュースを見たときから書きたかったが、あやふやな記憶で書くと問題だから、これでやっと今日書けることになった。そもそも、西日本に住んでいる人間に、関東や東北の地図を正確に書けと言われて出来る人は限られているだろう。だからあちら方面のニュースを見ていてもピンと来ないのだ。ただ、いくら地理に疎くても、腑に落ちないことくらいは分かる。見ていて違和感を感じたのだ。  「凍った湖の上に張られた多くのテント。朝早くから集まった人たちの目当ては「ワカサギ」です。群馬県赤城山にある赤城大沼では、氷の上のワカサギ釣りが解禁されました。赤城大沼のワカサギは、福島第一原発事故の影響で持ち帰ることはできませんが、訪れた人たちは、じっと当たりを待ち、冬の風物詩を楽しんでいました」  まず群馬県、そして赤城山、赤城大沼とだんだんと知識に心細さが増すが「持ち帰ることが出来ない」のフレーズには万人が反応して欲しい。どうやら福島県の隣の隣らしいが、ワカサギの体内の放射能汚染が分かっているんじゃないの。口に出来ないほどの濃度ってことがお上も分かっているんじゃないの。福島の事故以前の濃度をもし基準にしたら1万倍ではきかないような濃度でも安全とごまかしているやつらが食べてはいけないと言うんだから、どれだけ危険なんだと想像してしまう。ありとあらゆる悪意に満ちた人間を動員して安全を演出するやつらをしても隠し切れない危険。いったいどれだけのものなのだろう。僕は当地の事情を全く知らないが、大きな池って結構水道水に利用したり、畑や田んぼに水を引く源だったりする。食べることが出来ないワカサギを育んでいる同じ水が稲や野菜を育んでいるとしたら、果たして口に出来るのか。ワカサギなど食べずに済むし、経済的な影響もほとんど無い。それに比べて農作物は、大きな経済的影響を及ぼす。だから安全でなくても安全と言い続けなければならないのだろう。  今日やっとバターを探し当てて買ってきた。品薄が報じられ始められてからもこの辺りでは影響が無かった。ところが先月くらいからいつも買うバターが店頭から姿を消した。あるのは雪印の北海道バターだけだ。我が家は福島のあと、大山バターだけを利用している。それこそ東のほうの方には分かりづらいかもしれないが、鳥取県の大山と言う中国地方では一番高い山の麓で育っている牛から取れたバターだ。どう考えても北海道よりは汚染されていないだろう。ところが大山バターの姿を全く見なくなった。雪印のは一杯あるから、我が家と同じ価値観の人が意外と多いことが分かる。  岡山に出て行くたびに数軒のスーパーを物色し続けて今日やっと安全そうなバターを見つけた。嬉しいことに大山よりもはるかに福島から離れたところで出来たバターだ。原産地を見て驚き、そして嬉しかった。買い物のときに値段を気にしたことがなかったから、大山バターがいくらしていたのか忘れたが、ニュージーランドのは明らかに雪印より高かった。でもそんなことどうでもいい。より安全なものを食べることしか僕には選択肢は無いのだから。ただその選択をしている僕や、他の多くの人がドライなのではない。放射能をばら撒いてもなんら罪を問われない人間と、それらの人間を利用している人間達の巨悪が断罪されなくて、民主主義とか先進国とか聞いてあきれる。もっともその際たる国がアメリカなんて思っている輩が現在のさばっているのだから、当面はどちらも手に入らないだろう。  食べることが出来ないような魚がすむ場所は、本来なら暮らすことが出来ない場所。ニュースはそう伝えなくては。