危惧

 僕が唯一心配していたのは「リー、リー(行こう、行こう)」と仲間が急かすことだったが、全くの危惧に終わった。と言うよりもまたまた感動の場面に遭遇できた。  秋に初めてやって来た、かの国の3人の女性の中の一人は、寮を訪ねる度に画用紙に絵を描いている。絵には全く才能がない僕にとってはずいぶんと上手に見える。おまけに北の町に和太鼓を聴きに連れて行ったとき、偶然待ち時間に会場の傍で展示されていた絵画展を覗いたのだが、とても興味を示したのを記憶していたので、正月休みを利用して大原美術館を案内してあげると誘った。もう一人とても興味を示した女性がいて、二人に世界の名画を十二分に鑑賞してもらう環境を整えた。ところが、朝迎えに行くと、7人が如何にも若者らしいおしゃれな服装で待っている。一緒に倉敷に行きたいのだそうだ。去年の正月に倉敷のイオンモールに行ったのを覚えていて、そちらのほうがお目当てらしいのは見え見えだった。絵を見た後、食事をかねてそちらに回ることは簡単だし、それで楽しんでもらえる人にはそれなりに価値はある。だから一つの約束事として、絵が好きな二人のペースで展示スペースを移動することを唯一の条件にして出発した。車中、素人なりに如何に大原美術館に展示されているものが価値があるものか説明したが、ピカソと言う言葉すら知らない、驚くことに全員だったが、人に納得してもらえそうな雰囲気は無かった。まあ、僕を含めて多くの入場者がそうであるように、大原美術館に行ったことがあることに価値を置いて、国に帰ってから自慢の種にしてもらうだけでもよいと考えた。  ところがところがだ、絵が好きな二人の感動振り、全ての絵画の前でしばらく立ち止まり、二人で話し込んだり、筆のタッチを真似て、ゆっくりと右手を動かす動作は当然といえば当然だが、残りの5人も、とてもゆっくりと移動し、一つ一つの絵の前で立ち止まり、なにやら小声で話し合う光景が最後まで続いた。そして「オトウサン コレスキ、スゴイ」などと近寄ってきては評価を教えてくれる。結局は驚くことに3時間鑑賞したことになった。  今まで泊まりに来た患者さんやかの国の人たちを沢山案内したが、こんなに熱心に観たグループは初めてだ。かの国では美術の授業も貧弱らしくて、そして美術館などに足を運ぶ機会も無いらしくて、予備知識は全くなかったが、素晴らしい作品を前にして、感性が一気に昇華したのを傍にいて感じた。機会さえあれば、一人ひとりがどんな才能を開花させるのだろうと思うことがしばしばなのだが、今回の経験も同じような感慨に浸されるものだった。  二人は後ろ髪をむちゃくちゃ引かれながら後にしたのだが、いつかチャンスがあれば、鉛筆でしか絵を書いたことがないというその女性に、油絵の道具をプレゼントしたい。勿論安いものと言う条件付だが。夢も希望ももてなくなった世代ができることといえばその程度のものだ。