道の駅

 今、ある土地が売りに出されている。僕の日曜日限定の散歩コースだから、そのあたりに関しては熟知している。知っているからこその期待と、知っているからこその不安が同居して、それでも好奇心を持って売れ行きを見ている。いや、一向に売れている気配がないから、売れ残り振りを見ている。  海岸沿いに300坪の整地された土地は、恐らくどこかの不動産会社が持っていたものだろう。分譲して1区画だけ売れて後は残っていた。そこを現在の不動産会社が買ったのだろうが、あまりにも海岸沿いというのが東北の津波のせいで裏目に出て、一気に売れ残ったのだと思う。あくまで推測だが、坪7万円に値下げしているが、たくさん立てていたのぼりが風で倒れ雨で汚れているから、見学者も少なかったのではないか。寂しげに現地事務所を兼ねたテントが週末だけの主を待っている。  ある日曜日、その駐在員と目が合って、分割して住宅として販売するのではなく、一括販売して「道の駅」でも誘致してと頼んだ。グッドアイデアだとその人も褒めてくれたが、彼にとってはどんなに切り刻んでも売れればいい訳で、僕の話などお門違いだろう。  目の前にヨットハーバーがあり、長く延びた堤防で釣り人立ちが釣竿を並べる。前島、犬島、小豆島、四国の屋島と、濃淡で島々が奥行きを作る。そうした海岸に海の幸を中心とした道の駅が出来れば素敵だと、資本力ゼロの人間に限って夢想する。貯金をはたけばこの僕だって道の駅の裏側に置く「ヨドの物置」くらいは買えるが、本体は建てれない。牛窓にも「お金持ち」はいるが、どうもその人たちはお金の集め上手だけど、使い上手ではないみたいだ。人のためなど、お金のない人の負け惜しみかきれいごとくらいにしか思わないだろう。  又明日の日曜日、僕の巡回日だ。駐在員と目が合ってしまうかもしれないが、どうも最近、僕の目が興味本位から、物欲しげに変わってきていることに気がついたとみえて、僕と視線を合わさないようにしているのがよくわかる。最後に会った時「もう売るのを諦めて町に寄付して」と言ったのがまずかったかな。