写真

 自分のカメラを今まで持ったこともないので写真というものとは基本的には縁遠い。高校時代にクラス写真というものを撮るが、それ以外には記憶にないし、大学の5年間も数枚しか写されたものを持っていない。 そんな状況だから、嘗ての自分がどんな容姿だったのかあまり記憶にないが、最近、かの国の女性達がやたら写真を撮り、その都度フェイスブックにアップするので、僕も登場することが多いみたいだ。だから自分の写真なるものを時々見せられることがある。自分では全く興味もないが、妻が覗いている画面を見て自分が登場しているのが目に飛び込んでくる。正直我ながら、なんて見苦しいのだと思う。汚いの一言だ。20歳を少しばかり過ぎた子ばかりの中に入り込んで写されるから、あまりの生気のなさに愕然とする。唄の文句ではないがほとんど枯れススキだ。覇気も生命力もないし、美的感覚で言えば見るに耐えない。自分が見てそうなのだから他人なら尚更だろう。  ほとんど動物としては終わっている。少しばかりの大脳の働き、それも経験を司るところだけが衰えずにすんでいるから、年配者でもまだ社会的に存在できる。何十年も積んできた経験を生かすことが出来なければ、動物としての終わりに人間としての終わりも重ねられる。  僕は旅行でも写真を撮らないから、後で振り返ると言うことがない。せめて写真でもあれば色々と思い出すこともあるかもしれないが、切っ掛けがないから否が応でも先を見ることになる。時速100メートルで写真を撮りまくり、一体いつそれを見るのだろうと思うが、そんな時間があれば何か有効なことに使いたいと思ってしまう。見るに耐えない容貌になったから言うのではなくて、若いときでも同じように考えていた。昨日ではなく、明日だ。明日を写す写真があればさすがに僕でもカメラを買う。