黒煙

 山の峰の向こうから黒煙がもくもくと上がり、消防自動車が薬局の前を勢いよく通り過ぎた。何となく僕にはその火元の家が分かった。あのお家でなければいいのにと思ったがやはり当たっていた。  実は昨日その家に妻が薬を届けた。主はストーブをつけっぱなしで出かけていたから危ないなと感じたらしい。主の帰りを待ってやんわりと注意を促したらしいが、結果は今日の通りだ。  妻にも僕にも頭をよぎることがあった。少し前の母とその家の主が重なっていたからだ。母にも火の管理が出来なくなるときが必ず来るからと、随分前からガスや油は使えないようにしていた。それでも何かの不始末を起こしかねないと心配はしていた。痴呆が始まってもいざ家族の前では結構しっかり振る舞えるもので、僕はまだ大丈夫だろうとたかをくくっていたが、母の近所の世話役の方が、母の日常のレベルを教えてくれた。それで引き取る決心をしたのだが、今日の出来事を見て、その役員の方に感謝の念が再び蘇った。言いにくかっただろうに、本当に良い助言をしてくれた。あの助言がなければ、謝っても許してもらえないような迷惑を地域にかけていたかもしれない。  判断力をかなり失いかけていたあの主が、その現場を見てどう思うのだろうと不憫でならない。立派な肩書きを持ってかくしゃくとしていた頃から知っているから、そして衰え方をつぶさに見ていたから、現場で気弱にたたずむ姿を想像したら、そして後ろ指でもさされていたら哀れで仕方ない。いっそのこと完全にあの領域に入っていたらどれだけ救われるだろうかと考えたりもした。  老いることの残酷さを思い知らされた今日の出来事だった。