不動産屋

 今日は不動産屋さん。 放射能を避けて日本の東から牛窓にやって来た人は意外と多くて、それぞれが個性を持っている。その中で先駆的な位置を占めている若い夫婦がいて、時々牛窓の情報を集めるためにやってくる。 僕は病気の人以外とは深く関わらない主義だから、詳しいことは知らないが、一度都会に憧れてある県から東京に出て、あの忌まわしい原発事故を切っ掛けに東京を脱出したらしい。花の都大東京から一気に牛窓では、色んな分野でギャップがありすぎただろうと思うのだが、最近奥さんがこんな表現をした。「こんなに住みやすいとは思わなかった」と。  こんなに住みやすいから学生時代の10年を除いて住んでいる僕としたら当然の評価だが、こと大東京から来た人がそう言うのは、余程あの街が住みにくかったのだろうと想像する。明をうち消して余るほどの暗もあるし、善を償っても償いきれないほどの悪もある。太陽の下で活躍する人も多いが、暗闇に生息する人も多い。そんなところから逃れてきたら「住みやすい」のは当たり前で、その住みやすさはいとも簡単に手に入る。多くの人が都市部に出ていき、家は勿論土地も農地も遊んでいる。どうして処分したらいいのか、考えただけでも頭が痛くなる土地の人は仕方なく「そのまま」にしている。簡単に、安全に人に貸したり売ったり出来るなら、そうしたい人は一杯いる。ただ小難しい書類に目を通すのが苦手なだけなのだ。  明日、僕の知り合いがその若夫婦に家を見てもらう。東から逃れてきた人達の役に立てばいいと知り合いは言ってくれている。もてあましていたものが役に立てるならそれにこしたことはない。国がもてあましたものに追われ、小市民がもてあましたものに救われる。巨悪ばかりが栄える地の下を、ささやかな人情の水が流れる。