言葉の壁をもろともせず、持ち前の明るさでいつも回りを明るくする。貧しさのせいで両親と別れて祖母に育てられて掴んだ処世術とはとても思えない。きっと本来備わっている気性だと思う。  そんな彼女が憔悴しきった声で電話をくれた。片言の日本語で説明してくれるのだが、こと体調などの専門的な情報に関しては圧倒的に語彙は貧弱だ。仕方ないから妻を迎えにやらせて連れてきて貰った。身振り手ぶりで症状を聞きだし、実際に見たり触ったりして情報を集めなければどんな体調で1週間も不快に暮らしているのか分からないと思ったのだ。元々病気知らずだから、頭痛がしてもすぐ治ると思っていたらしい。ところが1週間近く経っても一向に改善しないから会社から病院に連れて行って貰った。そこではハッキリとした病気を告げられずに、鎮痛薬と解熱剤をくれて週明けに検査をしようと言うことになったらしい。  リビングのテーブルで僕の正面に腰掛けたが、いつものように背筋は伸びず、視線が伏し目がちになる。声は小さくて、作り笑顔が痛々しい。彼女の心配は恐らく病気になって本国に帰されることなのだ。自分の意図に反して本国に療養のために帰されることは、国に残した家族のためにも避けなければならないのだ。決してその事は口には出さないが、恐らくそれこそが一番の心配事のはずだ。それが証拠に特異な頭痛を我慢しながらも1週間働いている。 週明けに検査をすると言われて彼女は憔悴しきっている。「オトウサン、ドウシテナオラナイデスカ?」と自分でも歯がゆいのだろう、同じ質問を数回された。本人の苦痛とは裏腹に、僕は大した病気ではないのではと思った。Tシャツ1枚で母国では暮らしている筈の若いスリムな女性が、毎朝凍り付くような国で寒空を突いて仕事に通っているのだから、筋肉は緊張して悲鳴を上げるだろう。いわゆる筋緊張性頭痛だと思ったが、病院の検査待ちにして、何気ない風を装い続けた。妻がしばらくマッサージをしてあげて送っていったが、帰る頃には少しだけ言葉数が増えて安心した。 結局今日の検査で、僕の予想どおりの結果が出たが、今回のことでとても不思議な経験をした。僕はかの国のその女性のことを、まるで娘と同じレベルで心配している自分を見つけたのだ。娘の不調に接したときと何ら変わらない真剣さで向かい合っている自分を見つけた。これは意外だった。情が移るとはこういうことを言うのだろう。 「ハルマデ、ガンバル」と電話をくれたが、異国で健康を害する心細さが想像できるだけに痛々しい。もう少しだけ健康でおれて、多くの経済と人生を決めるくらいの想い出を持って国に帰って欲しいと願わずにはおれない。