生き証人

 駐車場の整備を頼んでいた会社の社長が帰る前に「お嬢さんいる?」と言って、わざわざ娘を呼んだ。僕は娘夫婦が主導して依頼した工事だから、その事についての話かと思っていたら、話題は全く違っていた。  調剤室に消えた僕にも次のような話し声が聞こえた。「工事代を少し安くしておいてあげるから、そのお金で、お父さんに鞄を買ってあげて。服装は仕方ないにしても、あのボロボロの鞄みたいなものとコンビニ袋じゃあ恥ずかしかろう」  日曜日に漢方の勉強会に急いでいる時にあるラーメン屋の前で会って、ほんの1分くらい言葉を交わしただけなのによく観察していたものだと驚いた。建設業の割にクラシックギターを学んだり、トランペットを吹いたりする何処か不釣り合いな繊細さは持っているのだが、観察力もなかなかなものだ。そうした性格が不況の時代でも生き残れる会社にしているのか分からないが、ただ話の内容は僕にはありがた迷惑だ。  あれを鞄というのかどうか分からないが、本の様に開いたり閉じたりして、ホックで留める紙で出来たものだ。厚紙だから強いのだが、さすがに30年も使っていればそれこそボロボロになり、ホックは辛うじて止まるが、それでもゆがみが激しく、強く両手で押さえつけていないと中のものが落ちてしまう。勉強会の会費などを入れているときは結構緊張して、時々まだ落ちていないか確かめなければならない。厚さ3cmくらいのものだから、それに入らないものはコンビニ袋に入れて持ち歩くようにしている。このスタイルは県外に行くときだって同じだ。コンビニ袋に必要なものを詰めていく。かさばらないから結構便利だ。 僕にとってはどちらも勉強会グッズで、30年の努力の生き証人みたいなものだ。まだ使えるから使っているだけだが、本人は勿論漢方薬を飲んでくれているが、多くの患者さんを紹介してくれる社長にとってはなんとも見たくなかった光景かもしれない。僕の性格は熟知しているから、想定外のことではなかったと思うが、薬局の外で、それも全く無防備な僕を見たのは初めてだろうから、さすがに驚いたのかもしれない。 娘への提案は有り難いが、鞄で病気を治す力がアップするようにはとても思えないので辞退した。もしよい鞄にすれば漢方の力が付くのなら、さすがの僕だって迷わず愚痴、これは空しいな、グチ、これは頭に石があって今の僕の歯茎の状態では食べづらいな、そうだ思い出した、グッチの鞄でも買いあさる。 厚紙で出来た鞄を持って30年間勉強会に通い続けた。今では鞄を追いかけるように僕の体も心もボロボロになってきた。どちらかというと僕は鞄よりこちらの方を取り替えたい。