人の目

 僕らの青春時代は「人の目」は寧ろ士気を高める動機付けだったような気がするが、現在の人は萎縮の動機付けのように見える。この「人の目」を巡る相談は最近とても多い。もっともそれが主なる問題点かどうかはさておいて、それに付随して起こる様々な体調不良は、問診票から時としてはみ出る。 僕は不特定多数の「人の目」はとるに足らないと思っている。見ず知らずの人間の評価などどうでもいいし、実際には見ず知らずの人間がどこにでもいるような相談者に興味や関心を示すはずがない。そんなありもしない関係性で自分を縛るのは、やはり青春期特有のナルシシズムだ。その結果の独り相撲で土俵の上に転がされたのでは、たまらない。せめて相手がいるならまだしも、架空の相手と相撲をとっても仕方がない。  だからといってその性格が一朝一夕で治る?変わる?のは難しい。変わることが出来ればどれだけ生きるのが楽だろうと思うが、なかなかそうはいかない。「人の目」を意識して自分を律することが出来ればそれは長所にもなるが、残念なことに相談者の多くはその長所に振り回されている。 不特定多数に受け入れられるなんてあり得ない。「あの人に認められなかったら自分はもうお終いだ」なんて嘆く人に人生でそんなに出くわすはずがない。どうでもいい人のどうでもいい眼差しや物言いに付き合うほど人生はスローではない。ありもしない「人の目」より、ありもする「自分の目を」大切にして欲しい。