最低

 全国の学力テストと言うものがいいか悪いかは別として、岡山県の成績は40数番台で、ほとんど最下位に近かった。我が愛する岡山県がこんな成績で、僕は嬉しい。してやったりだ。学校の成績が全て、よい高校、よい大学へ行くことが全てと思っている親が少ないってことだ。体験か直感か知らないが、そんなことで人生が決まらないと思っている親や、決まらなかった親が多いってことだ。 幸か不幸か、田舎で育ち、田舎で育てたから、僕自身も子供達も、学校の勉強以外していない。学校の勉強も嫌いでいやいやしているのに、それ以上金を払ってまでする必要を感じなかったから、親子2代に渡って、いたって正統派だ。だから効率はすこぶる悪くて、本人の実力そのもの程度に収まった。頭の訓練もせず、テクニックも覚えず、運の見方もつかず、それなりに収まった。それなり以上を勝ち得た人と比べることが出来ないから(交際がない)自業自得が実は幸福だったのか不幸だったのかは分からない。より高きコースはどれだけの喜びをもたらしてくれるのか知らないが、自分のコースもそれなりに楽しかった。  突出した才能を持ち、突出した訓練を受け、突出した職や地位につき、意図的か無知か知らないが、悪事の限りを尽くすより、そこそこの常識を持ち、人を騙したり、人を傷つけたりせずに、些細なことで頭を下げ合い、些細なことで笑い、些細なことで怒り哀しみ、些細なことで人助けする生き方の方が如何にも楽だ。損得を介せない人間関係の如何に楽なことか。学ばなくても身に付く人間関係は、必要以上にテクニックを付けさせる空間では生まれない。 最低ラインから這い上がるのは、最低ラインの現役の頃に身につけた教科書的な知識ではない。その後の人生で如何に弱者の役に立てるかって一点にかかっている。色々な形の弱者が存在するが、それを見つけることが出来る目は、学力テストなんかでは手にすることは出来ない。力んで生きる時代は過ぎ去った。脱力でこそ生き延びられる時代が来たのではないかと思っている。