人柄

 70歳間近の男がソファーに倒れ込むようにして笑うのだから余程嬉しかったのだろう。余程面白かったのではない、余程嬉しかったのだ。僕には分かる。これ以上の歓びの表現はないし、大なり小なり同じような行動は誰もがとる。 胃の不快症状が常にある人だから、毎年、町が行うレントゲン撮影は恐怖の1日なのだ。それが迫ってくるとそれこそ胃が悪くなる。なんだか矛盾しているが、レントゲンをクリアするために胃の薬を取りに来る。まるで笑い話のようだが、本人にとっては一年で一番深刻な日なのだ。  ところが結果がよかったらこれが又一年で一番嬉しい日に変わる。まるで向こう一年の健康を保証されたような気になるのだろう。年齢と共に病気などいくらでも襲いかかってくるだろうが、知らなければ病気ではない。診断されて初めて病気になることだって往々にしてある。知らなければ元気、症状が無くても知れば病気ってことだ。 「○○さん、残念だったね、あれだけ癌だ癌だと覚悟していたのに。予想が外れたから安心して塩辛いものやタバコを又楽しんだら!節制なんかしたら人生がつまらないよ」と、僕が彼の報告を聞いて言った言葉に対するリアクションが冒頭のソファーのシーンなのだ。吉本新喜劇池乃めだかばりのずっこけの演技だった。「そんなものを復活したら癌になるじゃねえか、折角止めているのに」と安堵感を意地でも手放さない。明日から又一年後の最大の恐怖の日を目指して悶々と暮らす彼にとって、いわば唯一の安堵の日なのだ。この皮肉の中に人間らしさが凝縮されている。まるで強がりを知らない人柄に救われる。