勇気

 食品売り場のショーケースの前を歩くと身体が冷えて辛いという訴えを聞くことがある。狙いを定めて一品を手に取りレジに急ぐ購買行動の僕には理解できないことだったが、今日なるほどなという経験をした。 頑張ろう○○というかけ声のもと、かの地方のものを意図的に消費させる機運が未だ続いている。それを確かめようと大きなスーパーの食品売り場をゆっくりと見て回ったのだが、意外や意外、かの地方のものはほとんど目にすることが出来なかった。暇があれば同じような行動を震災以来続けてきたが、こんなにかの地方のものを見なかったのは初めてだ。企業も表向きは、世の風潮に合わせて人道面をしているが、やっぱり経済には勝てなかったと見えて、ほとんどが瀬戸内、山陰、九州のもので、ずっと遠く外国のものも目に付いた。明らかに消費者の目を意識したもので、かの地方のものを意識的に避けている。この人道的でない対処は、実はもっとも人道的なのだ。何の罪もない人間が最強の毒物に暴露されなければならない理由はない。いつも尻ぬぐいを強いられる庶民が買わなければ最高の抵抗になる。こんなに簡単で効果的な方法はない。シュプレヒコールを上げなくても簡単に意思を表明して世の中を動かすことが出来る。 同年輩の買い物籠を下げた男性に混じって、一品ずつ如何にも買うようなまねをして吟味している僕は、まさに嫁さんに逃げられたか死に別れたうらぶれた独り身に見えるかもしれないが、頭の中ではガイガーカウンターの針が振り切れている。ショウケースの前で身体より頭を冷やした方がいいのかもしれないが、副作用云々と言って国から金をもらっている身としては、薬なんかよりはるかに恐ろしいものに無関心でいる勇気はない。