常識

真顔で驚かれたから驚いた。一瞬言葉の行き違いかと思ったが、パソコン画面のユーチューブの映像を見ながらだったから、間違いはないだろう。その時の二人はまるで落とし穴に落ちたような迂闊ぶりを照れていた。  「えっ、ニホン ワニイナイデスカ?」「あたりまえじゃろ、ワニなんているもんか」「ソレデハ、ニホン ゾウイマスカ?」「いるもんか、像が普通にいたら恐いわ」何の拍子かこんな会話をした。彼女たちにとっては、ワニや象はいて当たり前の存在なのだ。  常識も所変われば非常識になる。このギャップが面白くて海外に出かける人も多いだろう。言葉が通じればどのくらい楽しい時間を過ごせるかと思うが、意志の疎通の困難さを乗り越える真摯さが又新鮮なのかもしれない。もし意志が自由に疎通できると、逆に新鮮さを失い、どこにでもいる若い女性と、どこにでもいるおじさんになってしまうのかもしれない。 「ワタシ、コレアル」とある光景を映している場面で一人の女性が言った。これとは船のことで、かの国ではすなわち家のことなのだ。目の前にいる女性が、テレビの特集で見たかの国の水の上の生活者だってことも新鮮だった。一人は国に帰ったら以前勤めていたカナダの貿易会社に又勤めると言い、一人は勉強して海外旅行の添乗員になると言っている。数年日本で働けば学資が得られるのだろう。かの国の人は「ベンキョウ」と言う言葉をよく使う。いやいやさされたと言うような印象しか持てないその言葉が、彼女らの口から発せられたときは希望を伴っているように感じるから不思議なものだ。  初めて口に合うものを作って持ってきてくれた。マメで出来ていると教えてくれたお菓子はスイートポテトによく似た味と食感だった。これならのぞき込むように「オイシカッタデスカ?」と尋ねられても顔が硬直しないだろう。「美味しかったよ」と硬直した顔で答えても「アリガトウゴザイマス」と頭を下げられる後ろめたさは、漢方薬が効かなかったときに優るとも劣らない。  異国の地で懸命に生きる若者にいつものように幸あれと祈る。