横隔膜

 田舎の薬局にも時々珍しい肩書きを持った方が訪ねてきてくれることがある。この方もそんな中の一人だろう。当然と言えば当然だが、珍しい肩書きには珍しい発見が多い。  声楽家ともなると横隔膜の動きが分かるのだそうだ。発声の時にそれを意識できるらしい。さしずめ僕らはしゃっくりの時に意識するくらいだが、それでも横隔膜の動きを察知できている訳ではない。しゃっくりは横隔膜の痙攣ですと教えられているから、理論的に連想するだけで、その動きを感知できるわけではない。その道のプロのなんでもないことに、この道の素人はいちいち感激してしまう。  何気ない会話の中に人それぞれの専門的な輝きが無意識に漏れることは多い。何気ない会話の中から漏れるからこそ余計輝くのかもしれないが、そうした言葉を切っ掛けに尊敬の念が生まれることも多い。とってつけた言葉が機関銃のように発せられる輩もいるが、見え透いたスクリーンに映し出される物はない。  自分にとって、たかが薬剤師だが、他者にとってはされど薬剤師として捉えてくれる人もいるようで、クリスマスの日にも苦痛なメールがいくつか届いた。息子や娘みたいな世代が多いから、会うことが出来れば笑いながらでも解決できそうなのだが、印刷される言葉のやりとりだけでは、伝わらずに僕の手許に留まってしまう医学的事実や感情も多い。風で身を切られそうなこの日に、幸せにひたっている人もいれば、一人悩んでいる人もいる。何の相性か知らないが圧倒的に僕は後者と通じることが多い。力以上のことを試みて沈没し掛けた経験があるから、今は力むことは少なくなったが、それでも孤独なテーブルに小さなケーキ一つ届けたいと思っている。見栄えも悪く甘みも少ないが、人生を隅っこからでも味わえるものであればいいと思っている。