90歳のおばあさんに「立派な見立てじゃ」と褒められた。 お嬢さんと言っても60歳代なのだが、その方のために作っためまいの漢方薬をお嬢さんが勝手にお母さんに上げた。それを飲んだお母さんが調子が良くて、自分用の漢方薬が欲しくて遠くから来てくれた。  めまいはその漢方薬で収まっていたのだが、おばあさんには懸念があった。どうやらその懸念について僕に尋ねたかったのだと思う。1週間ほど前に何がなにやら分からないうちに倒れたのだそうだ。その後家族に病院に連れて行ってもらい検査をしたらしいが原因が分からないまま帰された。結局もらった薬はめまい止めだった。それ以後、外出するのが恐くなって家に引きこもっているらしい。外であのように倒れ込んだらと言う恐怖から逃れられないらしいのだ。周辺症状の問診をしてもおばあさんはその事ばかりを繰り返す。すでにトラウマになっているのだ。  僕はおばあさんに、一瞬にして倒れて、一瞬にして気がついたのではないのと尋ねた。するとおばあさんはその通りだと答えた。シビレなどはなかった?と尋ねたら「病院でも聞かれた」と答えた。ここまでだったら病院と同じことになるが、僕は病院と違って大いなる暇があるのでもう一段話を進めた。「奥さんこの1年以内に転んだか、どこかに身体を打ち付けなかった?」と尋ねた。するとおばあさんが「半年くらい前に転んで頭を打った。顔が紫になったし、右腕も紫になった」と答えた。  これで僕には充分な情報を得られた。おばあさんにその出来事の解説をしてあげると、私もなんかそんな気がしていたと言った。そして「今日来て良かった、今日来て良かった」と手を合わせて繰り返してくれた。暇な僕だからおばあさんのこの1年の出来事を尋ねたり出来るが、忙しいお医者さんではできっこない。だから検査で異常なしのおばあさんの気がかりをとって上げることが出来たのだ。90歳を過ぎていたら、どうでもいいとは思わない、90歳を過ぎたらじっと体調不良に耐えるとも思わない。恐らく僕や、もっともっと若い世代と何ら心のもちようは変わらないと思う。心のわだかまりがとれたときの嬉しそうな顔は、年齢には関係なかった。見立てを褒められたが、実はいちばんの功労者は本人で、記憶を辿ることが出来る、衰えを知らない脳の持ち主だ。手を合わされた僕の方がその脳を分けて欲しい。なにせ衰えっぱなしなのだから。