だんじり

 嘗て秋祭りにだんじりを引っ張って町を練り歩いた仲間達も、最早その年齢ではない。牛窓は昔港町で栄え、遊郭が沢山あったらしくて、その名残でだんじりは女性の着物を着た男達が厚化粧で引っ張る。最初に参加した30代の頃は恥ずかしくて、酒の勢いでなんとかごまかしていたが、2.3年もすると快感になり、リーダーみたいに振る舞っていた。 左甚五郎の弟子とかなんとか言う人の作らしくて、恐らく江戸時代に作られただんじりは見事な造りだ。仁先生や咲様がいた頃よりももっと古い時代にあんなものが作られたことに感嘆するし、何十人でひかなければ動かないような重いものを先人達もひいていたのかと思うと江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。  臑に疵がある友人がふらっと入ってきたから「○○君、だんじりはひかないの?」と尋ねると「祭りに出入り禁止くっているのにひくもんか」と答えた。当然僕にはその答えは分かっていたのだが、寂しくないのかどうか表情から読みとろうとしたのだ。御法度の裏街道を歩いてしまったから、表舞台にはこの小さな田舎町ではもう立てないだろう。それは自覚しているみたいで、だんじりをひくことに未練は残っていそうにはなかった。酒を飲み、大声を出して、交通ルールを無視して道路を占拠したあの頃の未練は無いと見た。酒の臭いを本能的に嗅ぎつける嗅覚も封印せざるを得ないのだろう。   僕にはそうした酒で人生を失った知り合いが二人いる。どちらもある時期とても親しく付き合ったのだが、酒で世間の評価を失うにつれて疎遠になっていった。世間の許容範囲を明らかに超えたのだ。ただ小さな町の良いところで、そうした人達が決定的に落ちることを防いでくれる人のつながりがある。だからとことん悪人になることは難しい。多くの人と日常繋がって育ち、過ごしてきた町だから、それらの人にも最低限大切にしなければならない人間関係は残る。だから悪の限りは尽くせなくて、まだ引き返すことが出来る一線を越えなくてすむのだ。  何の遠慮もなく、嘗てのように道路を占拠して束の間の自由を謳歌するエネルギーはもう無いが、我が進む道だけは常にだんじり道にしておきたいと思う。