喪主

 「ワシは人がいいから早く死ぬかもしれん」と、いい人ほど早く死ぬって言い伝えを心配している。父親もお兄さんも共に60歳半ばを待たずに亡くなっているから、まんざら可能性がないわけでもないのだろう。いい人と言えるのかどうか分からないが、以前勤めていた職場で「あんたが一緒に飛行機に乗ってくれれば絶対落ちない」と言われていたらしいから、真意のほどは定かではない。  本人は正装のつもりかもしれないが、僕にはエライ年寄りに見えた。敢えて何処に行こうとしているのか聞かなかったが、向こうから年金の手続きに行くと言った。僕は詳しくは知らないが、最初の5年間は支給額は少なくて、65歳くらいから満額貰えるようになると言っていた。どうせ支給されたお金は酒代に回るのだろうが、「満額貰える頃にはあの世に行っているような気がする」と気弱だ。  同居しているお兄さんの体調が思わしくないので「長生きしてもらわないと、あんたが喪主を務めないといけないよ」と言うと、兄弟仲の悪い彼は「何でワシがそんなもんするもんか、黒島の沖で水葬じゃ」と言った。それでも言いすぎたと思ったのか言い直した。「黒島の沖だったらメバルに気の毒だからやっぱり土葬じゃ」  今日はこの話題で心ゆくまで笑わせてもらった。どんな薬局だと思うだろうが、こんな薬局なのだ。人の口から出る言葉に品がないとしても嘘もない。僕も患者さんもどちらにも嘘がない。品を気取って虚飾を競い責任をとらない、僕のもっとも忌み嫌う空間に対峙する空間を30年かかって作り上げてきた。この空間だからこそ再び旅立てる人が出る。