朝は鳥たちだけの時間がある。夜が白みはじめても人間がまだ眠りについている時間、鳥たちだけが支配する時間帯がある。早朝に出勤する車の音さえも遠慮気味だ。彼らが確実に支配している時間帯だ。自由があるのか、安全があるのか、はたまた満腹か、大いなる理由がきっと隠されているなどと、鳥でない僕が考えている。  大津波の先端が入り江にやってきて、湾全体を飲み込もうとしたときに、何十羽の海鳥たちが甲高い声をあげながら一斉に飛び上がった。押し寄せる大波が見えたのか、まさに波の直撃を避けるようなタイミングで飛び立った。あの羽が欲しかっただろう多くの人がいる。その時、何を思ったかはかりしることは出来ないが、けたたましく飛び上がったあの羽さえあれば、助かっていた。鳥でない僕はもし羽があったらと夢想する。  どうして種が違うのに、どうして大きさがあんなに違うのに争わないのだろう。まるで親子のように、同じ草むらで接近しあるいは交錯しながら餌をついばんでいる。肉食系でないから争う必要がないのかとか、人間みたいにそもそも貪欲でないのかと、鳥でない僕が感心している。  ついに見破られて聖域ではなくなった。黄色のゴミ袋は透視できないと言われていたが、烏はそれを何年かかかって乗り越えた。幼子の知能くらいあると言われても、散乱したゴミを前のしては感心ばかりはしておれない。首をひねることばかりの人間社会から見ると頭を縦に振れるのは羨ましいと、鳥でない僕がやきもちを焼いている。