滑り込み

 朝出かけようとしている時に電話がかかってきた。国立大学の受験を前にして、本番で緊張しないための漢方薬が必要な子のお母さんだった。センター試験もその漢方薬で十分実力を発揮できたみたいだから、本番でも利用するらしい。毎年この手の漢方薬を取りに来るケースはままあるが、そのお子さんは過敏性腸症候群で学校に行くことが危ぶまれていたのを漢方薬で完全に克服してくれた子だから、僕自身も想いが入っている。合格したらお母さんや声だけしか知らないお嬢さんの喜びのおすそ分けに預かれる。僕ら世代になると自分で何かをやり遂げ勝ち取ることなどとはなかなか日常では巡り会えないが、人様の頑張りのお相伴には毎年預かれる。 シャッターを1枚開けただけで急いで応対したのだが、言ってはいけないことを言ってしまった。「これで落ちても思い残すことはないね」と言ってしまったのだ。明日試験を受けに行こうとしている子の親に、落ちても・・・なんて事を言ってしまった。僕の立場からすれば、彼女が他の受験生と同じ条件で試験を受けることが出来ただけで十分なのだが-それを期待されて相談に来たのだから-親にとっては合格に届かなければ意味がないだろう。僕は腹痛や頻便に苦しまなくてその後学校に完全に行けたこと、センター試験もお腹の不安無くして受けれたこと、又明日からの本試験もハンディーなく受けれそうなことで十分だと思ったのだ。しまったと思ったが、良くできているお母さんだから同じ土俵で戦えることを評価してくれた。  でも僕はなんだか合格するような気がしている。お母さんにも言ったのだがまさに滑り込みセーフだったのだ。試験前日に漢方薬を取りに来るとお母さんが約束していた日がお母さんの勘違いで今日の日曜日にあたり、本来ならもっと早い時間帯に僕は家を出ていたはずなのだ。何となくゆっくりしていたことで家を出る直前の電話が間に合った。この滑り込みセーフが試験で再現されるといいようなことを言ったのだが、ひょっとしたら又これが失言だったかもしれない。滑り込みどころか余裕の合格の実力者かもしれないのに。 奇問難問を解くための受験テクニックに投資できた家庭の子が有利になるような試験制度だからこんなマイナスの言葉が口から出てしまうのだ。門戸が平等に開かれているならこんなに受験に翻弄されることもないだろう。ケータイ電話の受験生を非難しない人が多いのは、何となく胡散臭い今の受験制度に気がついているからかもしれない。  人生のほとんどを滑り込みアウトで過ごしてしまった僕に贈る言葉はないが、土俵に送り出すことぐらいはお手伝いできるかもしれない。