訪問介護

 建設業を営む知人が、ヘルパーを紹介してと言って訪ねてきた。医療と介護が同じ土俵かどうか分からないが、僕にはそのつてはありそうでなさそうでなさそうである。いい人をお願いと言うが、まず自分がいい人であるかどうか疑わしい。そもそもあの顔で何で訪問介護などを思いついたのか不思議でならない。僕がこの顔で俳優になると言うよりまだ図々しい。 求人用のパンフレットを持ってきてくれたのだが、施設名を見て驚いた。介護する人に対して「明日もねえ」とはなんて験の悪い言葉だと思った。何でこんな名前を付けたのと尋ねると心外とばかりに「明日もね」と読むらしい。明日も元気でお会いしましょうと言う意味でつけたらしい。でも牛窓でこの字を見せられたら「明日もねえ(ない)」と誰だって読んでしまう。気取ってカタカナにしているから牛窓の人間には「明日もない」になってしまうのだ。「明日もねっ」と言う意味だったらちゃんと日本語で書いたらと提案しようと思ったら、さすがにその下に日本語で書いていた。「みんないい名前だって言ってくれるのに、そんなことを言うのはあんただけだ」と笑っていた。それはそうだろう、僕は顔も悪いけれど口も悪い。ついでに運も悪いし歯並びも悪いし、胃も悪いし・・・。  彼とは違って、同行してきた、恐らく中心になってやっていくだろう女性は、精悍で誠実そうな顔つきでまさに体育会系そのもののような印象を受けた。僕らのやりとりを楽しそうに聞いていたが、彼が専門外のことにも打って出れるのは彼女のような存在があったからだろう。市のママさんバレーで優勝したらしいから、まさに僕の印象通りだった。24時間介護、年中無休、介護タクシー、果ては施設などと抱負を語る2人に「会社でバレーボールのチームを作ったら。岡山だったらシーガルズが有名だから、真似してシリガルズ(尻軽ズ)にしたら」なんて提案したら、彼もさすがにこれでは自分の評価を落とすと思ったのか「この人はこんな事ばかり言っているけれど、漢方はすごいんよ、それとこれでもクリスチャンなんよ」と頼みもしないのに弁解してくれた。でも言われてみて気がついたが、どちらもえらいニッチだ。所詮隙間でしか僕は生きていけないのかと自虐的になるが、そう言えば最近ニッチもサッチもいかないのはそのせいかと思った。 色白でスリムで冷え性の僕に対して、色黒でがっちりしていて暑がりの真逆の彼だが何となく馬が合う。今で言う草食系と肉食系かもしれないが、夫婦と同じで似たもの同士は窮屈だ。あの品の無さが僕には居心地がよいのかもしれない。向こうはどう思っているか知らないが。