確率

 どの宗教でもあるのかもしれないが、修練する道場みたいな所に送られた男性の話。宗教的な専門用語は左の耳から右の耳に抜けていったから、面白い印象に残った話だけ一つ。 法に触れるようなことをした男性に救いの手を差し伸べてくれた宗教家の薦めで彼は修行のためにその本部がある街で3ヶ月過ごした。修行中街にも出られるらしくて、近隣の地理は制覇したなんて言っていた。人口数万人の街らしいから、威張るほどでもないが。  ある時ある場所で知り合った男性と話が弾んだらしい。そのうちどこから来たのと尋ねられて、岡山県瀬戸内市までと漠然と答えた。まさかその地名に反応すると思っていなかったのだが、その人も又同じ瀬戸内市の出だったらしい。こうなると盛り上がるからその次の字名の牛窓を言うと、その人は牛窓に隣接している尻海と言う所の出の人だった。こうなれば人物でも特定できそうな距離だからその人が「牛窓の人なら○○さんを知りませんか?」と尋ねてきたのだが、なんとその○○さんは数年前別れた奥さんのお父さんの名前だった。関係を尋ねると、そのお父さんのお兄さんらしい。要は数年前までの義父のお兄さんなのだ。彼は驚いて、そこから先の話をしないで、自分の名前も名乗らないまま分かれたそうだ。彼がすねに疵がある身分でなかったらそこで話も弾むのだろうが、一気に話は盛り下がったみたいだ。 牛窓から数百キロ離れた街で、偶然出会う。どう言った要素を並べて偶然出会う確率をもとめることが出来るのか分からないが、恐らくかなりの桁数の分母になるのではないか。ロト6よりひょっとしたら分母の桁数は多いかもしれない。彼の人生、地形、心のありよう、季節、信号・・・・いや、分母の要素が分からない。ほとんど分母は無限大に近いはずなのに出会ったのだ。こうした天文学的な確率の出会いを偶然と呼んでいいのだろうか。偶然はもっともっと分母の桁数が少ないイメージなのだが。数学的な考察は苦手だからこの辺りで諦めるが、数字より言葉の方が表現力に優ることもある。  照れながらエピソードを話してくれた彼だが、その彼も又確率を争う勝負事に都合の良い言葉で対峙して転落した張本人なのだ。