分相応

 「パニック障害不眠症うつ状態を引き起こし、この三年はいろいろな病院にもかかりましたが、結局、心通じ合う医師とはめぐり合うことができませんでした。」 有名な俳優の奥さんが数日前自分で命を絶った。その後の俳優のコメントの中の一部だ。インターネットの中で見つけた文章だから読んだ人も多いのではないか。多くの漢方薬局の方はこの文章を見て「どうして自分の薬局と縁がなかったのだろう」と思ったのではないか。自分の非力は承知で僕もそう思った中の一人だ。もっとも僕の薬局は田舎にあるから接点など出来るわけがないが、都会の漢方薬局がその奥さんの救いの場所の一つとして頭の中をよぎらなかったのが残念だ。知名度からしてかなり経済的には恵まれているだろうから、都会の漢方薬局の値段でも応えもしないだろう。田舎の薬局の値段だと安すぎて逆に信用してもらえないかもしれないが。  特別な階級の人は別として、ごく普通の人達は僕の薬局を頭の中で思い描いてくれるらしくて、昨日も3人の方から、単なる相談を頂いた。薬が切れる時期ではないから、それこそ単なる相談、いや単なる話の電話を頂いた。基本的には暇な薬局だから、単なる話だけでも十分お相手できる。そしてこの単なる話こそが大切なのだ。その中から処方のヒントが出てくることもあるし、漢方療法に優る副交感神経の働きを得ることも出来る。口から吐き出しただけ人は楽になれるから、いくらでも吐き出せばいい。会う人会う人喋り倒せばいいと思うのだが、実際にはそうはいかないだろう。僕なら、一応プロだから、話しやすいし、あわよくば解決の方法も提示できるかもしれない。 社会的弱者という言葉があるが、僕は心の弱者がすごく増えていると思う。とても真面目で人に迷惑をかけずに懸命に暮らしているのだが、人の中傷や不快な言葉に免疫を持っていない。又生来の心配性も心を弱くする。心臓に毛が生えていれば何も思い煩うことはないのだけれど、防備する気の強さがないぶん自分だけが傷ついてしまう。他人を攻撃できれば如何に楽に生きれるだろうと思うが、他人どころか自分自身を攻撃してしまう。最大の長所が最大の弱点になってしまう、そんな人を沢山知ってしまった。心の病気なんかではない、単なる個性を現代薬でコントロールされている人達を沢山知ってしまった。心の底に沈殿したものを吐き出すことが出来ずに寡黙な人を沢山知ってしまった。  僕は綺麗な言葉を使えないし、上品に振る舞えないし、道も説けない。しかし「単なる話」なら出来る。漁師や百姓に育てられた不器用な友情なら届けられる。分相応、これ以外なにもない。