十八番

 こちらが言う前に先手を打って言われたら為すすべがない。その言葉は僕が頻繁に使う言葉だが、本人が口に出し、それも結構本気で悩まれると逆に慰めにかからなければならない。今までにないパターンだ。僕が口に出す場合は100%冗談だから。 体調不良で相談に来る方の中で、堅い人には緊張感をとってもらうためにとっておきのギャグがある。とっておきも頻繁に出しているから最近ではとっておきにはなっていないのだが。「昔、蛇を殺したんではないの?」と思い悩んでいる人に声をかけると、結構そこで一瞬緊張感がほころぶことがある。体調不良の方の多くは、自分を責めているか、環境や見えぬ敵、見える敵を心の中で攻めているから、交換神経は亢進気味だ。そんな時に誰が見ても憎まれ役の蛇くらいに責任をなすりつけておけば誰も傷つかない。もっとも爬虫類をこよなく愛する人には失礼な話かもしれないが幸いにも僕の回りにはその様な人はいないから、今のところ蛇に全責任をなすりつけている。これが蛇以外の、例えばカエルでも、ヤモリでも、オオサンショウウオでも迫力がない。やはりあの手もない足もない体温もなさそうな?いやいや感情も血も涙もなさそうな動物が適任なのだ。 「昔、蛇を一杯殺したからたたりかなあ」椅子に腰掛けるなりその老人は嘆き始めた。おいおい、僕の十八番を取ったら慰めの糸口を失ってしまう。「そんなに沢山殺したの?」「そりゃあそうだわ、百姓だからマムシでもアオダイショウでも一杯殺した」これはもう話題を逸らすしかない。県内の有名な病院は全部かかったが原因が分からないから治療のしようがないと言われ何処も薬もくれなかったというのだ。大きな病院だから科学的な判断を下しているし善良な判断だ。ところが本人は尚更不安になって開業医にかかったが、開業医は簡単に薬をくれたらしい。当然効きもしないから不安になって訪ねてきてくれたのだ。  薬剤師は検査の資格も知識もないから医師が原因がないと言ったことを覆すことは出来ないし、そんな大それた気持ちもない。ところがそれがかえって功を奏することがある。原因は分からなくても本人が訴えている症状は分かる。ある意味では分かりすぎるくらい分かる。本人と向き合い情報を一杯集める訓練を何十年も続けてきているから。僕はこの男性の症状は、血液検査でいずれ出てくる病気の前兆だと思っている。それが証拠に、その病気の漢方薬を作ったら少し症状がとれ始めた。高度な知識はないから、何々を治しますとは言えないが、何々の症状をとっていこうとは言える。無知も時には知に優ることもある。  蛇のたたりの十八番を奪われたから、「ご主人、蛇のたたりではなくて、八つ墓村のたたりではないの?」と逆転ホームランを狙ったら、その男性はしらっとしていた。横溝正史の本を読んでもいなし、テレビのシリーズも見ていなかったのだ。折角岡山県を舞台に沢山書いてくれているのに。この気まずい空気こそ「たたりじゃ~」