「効いているのか効いていないのかさっぱりわからない」とため息をついたのは、もう2年以上痴呆症の薬を父親に代わって取りに来ている息子さんだ。本人はもう病院には行けないから息子さんだけが処方せんをもらいにいっている。たまには診察室に入らないといけないらしく、形だけの問診を受ける。帰りがけに処方せんを持って寄るのだが、出るのはため息ばかりだ。今時めずらしいくらいにお世話している家庭なのだが、愚痴の一つや二つは言いたくなるのだろう。 「目も耳も衰えているから歩くのも色々なものにぶつかりぶつかりやっとなんですわ」 「そのくせ勝手に出かけていって捜すのが大変なんですわ」 「お腹だけは空くんでしょうね、いくらでも食べて催促ばっかりするんですわ。」 「ウンチなんて立派なものですよ、あんなに痩せてきたのに羨ましいくらい」 「昼間寝てばかりだから、夜うるさいんですわ」 「名前を呼んでも見向きもしない」 「同じ所をぐるぐる回るから、いいかげんにしろってつい怒ってしまうんですわ」 「昔はかたかったのに今はどこででも漏らしてかないませんわ」 「もう早く逝ってくれればいいと家族で言ってるんです」 これだけ言えばぐちの一つや二つでは収まらない。全部言い切らないと家に笑顔では帰れないのだろう。確かに一つ口から出すたびに笑顔が戻ってきて、最後の方は笑いながら喋っていた。僕より少しだけ年が若かったと思うが、嘗てのスポーツマンも今は介護のプロみたいに父親を世話している。 「まあもう人間で言うと100歳は越えているらしいから仕方ないいんだけれどね」 「えっ、もうそんなになるのかなあ、80過ぎにしか見えないけれどね」 「そりゃあ、ばあさんが昔から生きのいい魚しか食べさせていないから綺麗に見えるん ですわ」 「もう20年と5ヶ月ですよ」 「何それ、どんな数え方をしているの?」 「いや、僕が捨てられているのを拾って来たんですわ」 「何の話をしているの?お父さんのことではないの?」 「猫の話ですよ、家には古い猫がいるんです」 「知らないがそんなこと、ややこしい話をするなよ」 「いや、我が家は今猫とじいさんの面倒を見ていて大変なんですよ」 どこからどう話が変わったのか、最初から猫の話だったのか分からないが、超高齢猫の話だったらしい。親の面倒も猫の面倒もよく見て頭が下がるが、どうも自分の面倒は余り見ていないみたいで、会うたびに痩せていっているように見える。痩せる思いも単なる言葉だけなら悲哀がこもって心を打つが、実際に痩せてしまったら単なる悲劇で終わってしまう。 まさか処方せんでもらったあの高いアルツハイマーの薬、猫に飲ませていないだろうな。