枯葉

 昨夜ふと回したチャンネルで、アフリカのある国では天気を表す言葉の中に晴れを意味するものがないと言っていた。日本ならさしずめ「今日はよく晴れて気持ちいいですね」とでも言うべき挨拶言葉がないのだそうだ。理由は毎日青空が広がっていてそのもの自体は当たり前すぎる事象だからだそうだ。たまに降る雨とか特別な気候を表す言葉はあるのだが、肝心の晴れはないらしい。 この夏の瀬戸内もさしずめ、あって当たり前の青空が支配し続けていた。だから昨夜からの雷と雨は、何か特別の気象現象のような錯覚に襲われた。思えば雷鳴に至っては、最近は聞くことがなくて、1年ぶり、ひょっとしたら2年ぶりくらいではないかと思われるほどだ。ただ、あの音と光はやはり強烈で一気に記憶を呼び戻し、正しい処置なのかどうか分からないが、パソコンの電源を慌ててすべて落とした。  恐らくこれをゲリラ豪雨と呼ぶのだろうと言う経験を2度したことがある。これもまたこの数年運良く経験していないが、2度とも車で出かけていて、運転を諦め路肩に非難し雨が通り過ぎるのを待った。ニュースでしばしば見たり聞いたりするこの言葉をあの時の体験に重ね合わせて聞いている。  昨夜からの雨は結局半日降り続いたからお百姓さんも一息ついただろう。いい天気ですねなんて間違っても口に出来ない状態だった。いくら水をやってもあっという間に土中に吸収され、ほとんど焼け石に水状態だったらしい。牛窓は灌漑用水が引かれていて酷暑でも致命的な被害はないが、0脚で膝の痛み、腰の痛みに耐えながら畑を歩く姿は痛々しい。命を育む仕事なのに尊敬と感謝の気持ちが届かないなら、せめて天気だけは味方をして欲しい。  色鮮やかな夕焼が久しぶりに冷気を運んできた。命がけの外出から一気にクールダウンした。もっとも史上最長の熱情の季節の中でも、僕の心はクールダウンして枯れ葉がすでに舞っていたが。