ハンドル

 体調が悪いとモラルも親切も、そんなことは言っておれないのだろうか。我ながらぞっとする経験をしたが、非は僕の方にも大いにある。 バイパスにはいくつかの側道から合流する地点があり、どの車もおよそ80Kmくらいで走っているから、なかなか合流するのも大変なときがある。自分が合流するときも、合流されるときも、ハラハラものだ。これを安全にするには「譲る」に限る。おおむね僕は他の車に優先権を与えて先に行ってもらう方を選択するのだが、疲れていたのかすこぶる判断に迷った。側道から上がってくる車が結構手前から見えていて、どう見ても同じタイミングで合流するように見えた。一瞬いつものようにスピードを落としたが、向こうも気がついたのかスピードを落とした。だから結局は同時に近づくような格好になった。そこで僕はスピードを上げて、その車の前に出ようとした。ところがその車は恐らく僕がスピードを落としたところまでしか見ていなかったらしく、俄然スピードを上げて僕より前に出ようとした。こうなれば合流地点で交差するに決まっているが、向こうは僕の車が死角に入ったのか、交差するところでスピードを落とさずにそのまま本線に出てきてしまった。ほとんどすぐ横あたりを走っていたので、横から体当たりされるようになって僕は慌ててハンドルを追い越し車線の方に切った。運良く追い越し車線を走っている車が、僕を追い越したばっかりだったので、僕はその車のお尻に付くように逃げることが出来た。もしその車が僕の横にいたら僕こそがその車に体当たりしていた。何となく後ろの様子は掴んでいたからとっさの回避行動が出来たのだろう。  僕と同じようにいったん譲って、その後加速し、僕が衝突の回避行動を取ったことも分からずに悠々と走っている車の運転手がどの世代なのか知りたくて、追いかけて接近してみたら、僕よりずっと上の年齢の人に見えた。  僕にその人を責める権利も気持ちもなくて、なぜあの時僕がスピードをもう一度落とさなかったのかと、そればかりが悔やまれる。その判断力の欠如だけが悔やまれるのだ。道は譲るものと徹底して決めておけばよいのに、あわよくばとか、ひょっとしたらとかでルールを曲げてしまったことが残念だ。大きな事故になっていた可能性は当然ある。何に守られたのか知らないが、再度、いや再々度、いや再再再度何かに守られた。いつまでも守られる保証はない。ただ譲りさえすればほとんどが守られる筈なのに、譲る気力さえなくなる体調不良が事故を呼ぶ。  別にハンドルを握ると人が変わるタイプではないのだが、時として集中力が切れるようになった。人生のハンドルは青年の頃からぶれまくりなのだが。