規格外

 寒さのせいで野菜が不足し価格が高騰している。農林水産大臣が規格外の野菜でも出荷して欲しいと緊急の声明を出していた。よく言うものだと感心する。普段豊富に出回っている時には、大きさや形に拘るくせに、いざ不足して高くなれば、小さくてもいい、形が歪んでいてもいいらしい。 僕は野菜の値段が高騰することを喜んでいる。その事によって、国民が少しでもお百姓の苦労に思いを馳せてくれればこの上ない喜びだ。ついでに魚の値段も上がって欲しいくらいだ。僕が牛窓に帰ってきて良かったと思うことは一杯あるが、その中の一つが第1次産業が盛んな町で、お百姓や漁師の人達と毎日接することが出来ることだ。勿論都市部に働きに行くサラリーマンや自営業者、民宿やペンション経営者なども多くいるが、命を支えている第1次産業従事者と日々顔を会わせることが出来るのは、人として漠然とした感謝の念をいつも抱くことが出来る大きな要因になる。特定の誰かって事ではなく、特定の何かって事ではなく、何となく人様のおかげで生きているって事を実感できるのだ。いくら権力、経済力を身につけても、彼らがいなければ生きていくことは出来ない。巨大なビルの最上階でふんぞり返っていても、食料無くして生きることは出来ない。財布から金を出せば食料が自動的に何の苦労もなくて手に入る。生きていくことは、お腹を満たすのは、こんなに簡単なことかと思われたら、お百姓や漁師が可哀相だ。彼らの実際の労働を出来れば皆に見て欲しい。腰が二重になっても重量野菜を這うように運んでいる老人を見て欲しい。人が眠る頃起きて、暗闇の中に船を出す漁師を見て欲しい。 規格外の野菜や規格外の魚を殺しているのは、規格が好きな人達だ。余程自分の見栄や肩書き、学歴などに自信があるのだろう。僕なんかこの見栄え、この性格でよくぞ淘汰されなかったと胸をなで下ろしている。顔の造りは乱れに乱れて、性格はゆがみに歪んでいるのだから。さながら白衣をまとった規格外だ。