白衣

 何時に出かけても良い程度の用事だったので家でのんびりとしていたら、数人から漢方薬が今日切れたと電話がかかってきた。各々取りに来て頂いたが、一人の男性だけは無理に長い時間を割いてお茶を飲みながら雑談した。酒を昼間から飲んでいるかと思うくらい赤い顔をしていたからだ。電話の内容が胸の辺りがしんどいというものだったが、心身症だと言うことは分かっていた。ただ、その真っ赤な顔を見ると如何に一人家の中で悶々と不安に駆られていたかは容易に想像がつく。このまま薬を持って帰っても恐らくすぐには効果が出ないと思ったから、休日を利用して沢山の話をしようと思ったのだ。 奥さんに先立たれた男の末路は寂しいものがある。それを地でいく男性だがそれに輪をかけたように息子夫婦との同居が心の中での葛藤を生んでいる。若者の考え方とか行動に馴染めず、言いたいことも言えずに全てを飲み込んで、心がその負の集積に耐えられなくなった時にウツの領域に精神が逃げ込んでいく。病院で8種類も薬をもらっているが治る気配がない。日替わりで訴える不調に、その都度処方される薬があり、段々と薬の種類が増えていっている。いったん増えた薬は滅多に減ることはない。医師も患者も懸命だが、懸命が空回りすることが現実には多いのだ。  息子や嫁、果ては孫のことまで罵りだした。それまでは親子3世代で暮らすことが出来て如何に恵まれている家庭かを力説していたが、そんなの脚色だと言うことは簡単に想像がつく。環境に作られたウツだと僕は想像していたから、誘い水を出してみると、今度は出るわ、出るわ家族の批判が。一杯話を聞いた後、得意の「息子を絞め殺したら」と言うと、「そうなんじゃ、息子が寝ている姿を見たら杖で殴ってやろうと思うんじゃ」と実際に持っていた杖でその仕草を交えながら答えた。本当は大切で大切で仕方ない家族ってことは勿論僕には分かっている。大切だからこそ、失いたくはないからこそ老人特有の老婆心が災いしていることを僕は知っている。  妻がお茶を入れて男性に飲むように促した。「こんなこと家ではして貰えないのではないの?」と尋ねると一瞬涙を浮かべて「水ばかり飲んでいる」と言った。身体の不快症状を一杯並べ、胃腸か脳か神経か心臓か腎臓か肝臓かと病原を探し続ける。挙げ句の果ては精神科の薬まで飲んで、生気を失っている。「もう病気探しは止めたら。所詮ご主人は奥さんが先に亡くなった病だから」と言って別れた。  妻が家まで車で送ったのだが、帰ってすぐ電話がかかってきた。「話を聞いてもらって調子がいっぺんに良くなった」1時間前電話をかけてきた時の、聞こえるか聞こえないかのような震え声とは様変わりしていた。まだ持って帰った煎じ薬を飲める時間ではないから、薬局で一杯鬱積した心の中を吐露したことが効いたのだ。僕の前で幸せを演じる必要なんてさらさら無い。だって、僕自身も不愉快な骨格系の弱点を抱えながら、なんとかしのいでいるだけなのだから。白衣で健康が保証されるなら、蒸れるくらい白衣の重ね着をするが、残念ながら僕はその白衣で余計首を絞めているような気がする。