釣り糸

 「私達は情報の最終ランナーですから」 なんて格好の良いコメントだろうと思わず画面を見入ったが、中年の東北弁を喋るおじさんが映し出されているだけだった。どういった状況でこの名文句が出たのかと言えば、販売部数の落ち込みで苦しむ地方の新聞屋さんの取材での場面だった。戸数が減り、営業的に立ち行かなくなりつつあるというのだ。ただでさえ人が眠っている時刻の仕事で、マイナーな感じがあるのだけれど、現在は上記の名文句のような気概で仕事を続けていると言っていた。新聞を配りながら、知識や情報も配り、特に最近では独居老人の安否も確かめていると言っていた。  東北地方では立ち行かなくなっているのかどうか分からないが、このあたりだと新聞屋さんはどちらかというと羽振りがいい。まだ新聞折り込みの宣伝効果が高いのか、チラシ収入が多いみたいだ。その分高慢な経営者も時々見受けられる。あのおじさんの言うことがすんなりとは受け入れられなかったのは、このあたりの事情と比較してのことだ。  いみじくも昨晩NHKでマスメディアについて討論がされていた。偶然最後の方だけ見たのだが、大手の新聞、テレビが数ある出来事を選択し、分かりやすく咀嚼して国民に知らせていると大見得を切っていた。それに反論する評論家や若きIT起業家と対峙していたが、その討論の一部を聞いて、僕は大きなお世話だと思った。どう見ても咀嚼だけではない。かなりの色づけをして情報を流しているはずだ。国民が判断するのではなく、自分たちが意図している方向に世論を持っていこうとしているように思える。混沌こそが彼らの収入源だから、正義面して声の抑揚まで変えて、間の取り方まで変えてなりふりかまわず儲け主義に走っている。テレビも見ない、新聞も読まない人達が一杯いると聞いて、僕もそれでいいのだと思った。不愉快な報道から身を遠ざけるのもそれはそれで賢明な方法だ。  押しつけがましい情報よりも、自分で取りに行った情報を信じる新たな世代が、いずれ時代を切り開いていくのだろう。とても正義など振り回す資格がない輩の単なる職場に日々付き合わされてはたまらない。川上にばかり立ちたがる人間が目立つ時代に、川下で釣り糸を垂れる平和は捨てがたい。