包丁

 どんな意図が隠されているのだろうかと勘ぐりたくなったから、勘ぐって、行動した。これがいわゆる門前薬局という立場にいたら到底出来ないが、僕はフリーな状態にあるから遠慮無く行動できた。そしてつい今し方本人にとって最高の結果が出て喜び合えた。 昨日ある夫婦から相談を受けた。先週、主人の親がある箇所から出血して診療所を受診した。診療所では分からなかったので、その系列の小さな病院に翌日回された。それでも分からないと言うことで、と言うより腫瘍の可能性があると言うことで、岡山市のある病院を紹介された。その病院には土曜日に偉い先生が来るから見てもらえと言うのだ。土曜日までまだ4日ある。出血して受診してから1週間待てと言うのだろうか。病院から帰った親にその予定を聞かされた若夫婦が相談にきた。腫瘍の可能性があると言われお父さんは落ち込んでいる。何か不自然なものを感じた夫婦がどうしたらいいかというので、僕の息子が勤めている病院に行くように勧めた。息子に○○さんが行くから○○先生に頼んでいてといったら、そんなことが言える間柄ではなく教授級だと教えてくれた。先生とか教授とかが苦手なのはどうやら僕譲りらしいが、そんなに偉い先生ならよけい勧めてよかったと思った。 どうなったのだろうなと気にしながらの一日だった。4時頃に息子さんがやってきて、ガンではなくただの砂だと診断され全く別人のような表情で帰ってきたと報告してくれた。よく知っている家庭なので僕もとても嬉しかった。こんな朗報を何日待たせるつもりだったのか。腫瘍の疑いがあるのに何故、偉い先生がいる病院を直接紹介せずに、その先生が週に1度だけ来る小さい病院を紹介したのだろう。老患者が医師の言われるままに行動するのは当然で、もし若夫婦が疑問を持たなければ後何日も死の予感と戦っていたはずだ。何の意図が隠されているのだろう。僕にはあずかり知らぬ分野だが、違和感は限りなくある。まな板の上の鯉にだって自由もあれば権利もある。錆びた包丁はごめんだ。