消防車

 滅多に聞かない音質のサイレンが2回、けたたましく鳴った。その後すぐに火事の現場が放送で案内された。消防車が何台も薬局の前を通ったのはその後だ。同じ部落の名前を放送されたから3階に上がってみると峠の辺りに白い煙が上がっていた。あの煙だったらおそらくぼや程度だろうと、そのまま僕は薬局を開け仕事を始めた。何事もないかのように普段通りの朝が始まった。 当事者とそうでない人とのこの大きな壁。今まさに炎が長い間築き上げたものを焼き尽くそうとしている場面で、ある人は右往左往し、ある人は果敢に火に立ち向かっているだろうに、僕は調剤機にスイッチを入れて回っている。胃の調子が良くなくて偶然コーヒーを控えているが、普段ならかぐわしいコーヒーの香りに徐々にテンションを高めていっているだろう。引きつった顔をして心臓が激しくうちながら家具を運び出す人々で騒然としているまさにその時間に。もし胃が悪くなければ、僕は悠然としてコーヒーをすすっている。そしていつの日かその被害に遭われた方と会ったときには少しだけ顔をしかめてねぎらいの一言でも上手く口上する。 幸いぼやで大事にはいたらなかった。何台も駆けつけた消防車も知らないうちに帰ったみたいだ。帰る様子には全く気がつかなかった。牛窓に帰ってきて、なにがなにやら分からないままに消防団に誘われた。機械が得意ではないので消火訓練も傍らで見ていただけで、何一つ得たものはない。意味のない肩書きだったから、何一つその道では役に立てない。  建物の火災なら119番を回して消防車を呼ぶことが出来るが、心の火災ではなかなか呼べない。何番を回していいのかも分からないし、誰に救助を要請したらいいのかも分からない。悲鳴が届くところに避難場所があればいいが、多くは孤立した壁の中で暮らしているから外部には届かない。ハシゴ車も消防へりも届かないところで燃えている心がある。誰も近寄れない近づけない火事がある。不器用で何一つ操作を覚えることは出来なかったが、操作を必要としない消火ならできる。不器用だから届く距離がある。機械でないから消せる炎がある。せめて人の心の火事だけには消防車に乗って駆けつけたいと思った。