市民権

 いつから市民権を得た言葉か知らないが「目が点になる」とは旨く言い表している。実はまさにその様な体験をした。目が点になった人を真正面で見たのだ。それもカウンター越しという至近距離で。今になってみれば目の何処が点になるのか確認しておけば良かったと悔やまれるが、それこそ人間が驚きで固まった状況を旨く表現していると思えた。  毎日クロネコヤマトが集荷に来てくれるから、運転手さんとは自ずと親しくなる。もっとも田舎と言うこともあり、我が家だけでなく何処のお家の人とも親しそうだ。ある運転手さんは母の所に荷物を届けてくれると、少しの時間を割いて母自慢の菜園で野菜づくりの手ほどきまでしてくれるらしい。それこそ長いつきあいなのだ。その運転手さんと薬局でカウンター越しに話をしているときに、何かの拍子に母の年齢を尋ねられた。僕は母がいつも言う口癖みたいな数字、90才と答えるとまさに冒頭の状態に運転手さんがなったのだ。その間1秒か2秒かもっと長かったのか分からないが、明らかに彼の思考が止まっていた。それこそ目が驚きのままで固定されたのだ。しばらくの間をおいて出たのはやはり「えっ、90才?」と言う驚きの声だった。彼にとって90は考えられない数字なのだ。母は恐らく満年齢ではなく数えで年齢を口にしているからひょっとしたら89才かもしれないが、どっちみちそのくらいの年齢だ。運転手さん曰く「70歳代かと思っていた」。これには僕も驚いたが、彼がお世辞を言う必要もないし、そんなことに不自然に気を配る人でもない。本心なのだ。  この大いなる誤解は嬉しいと言うより楽しかった。裏にいた母と妻に早速伝えると、二人とも大声で笑ってかなり受けていた。幸運にも元気な母を当たり前くらいにしか認識していないから笑い話のネタにでも出来るのだが、このことに対してはありがたいと思っている。今でも我が家の大切な戦力なのだから。それにしても働きづめの高齢者が一杯いる町だから決して突出しているわけではないのがいい。カルチャー教室に通う老人で溢れる街中ならさしずめ我が家は虐待で通報されそうだ。人生、結果オーライなのか、過程重視なのか難しいところだ。