頭痛

 後頭部がガンガンして、血管でも切れるのではないかと思いながら運転していた。8時に仕事を終え、往復2時間のところにある教会に行ってきた。今度の日曜日に行われるある儀式のために、心を清らかにしておかなければならないらしく、告解と言うものをしてきた。狭い部屋に神父様と入り、懺悔を聞いて頂くのだが、たくさんあり過ぎて、我ながら情けなくなる。こんなに信者になるのは難しいのかと思うが、それだからこそ価値があるのだとも思ったりする。求められる姿勢、求められる行いなどを列挙されるが、自分にないもの、自分とかけ離れているもの、自分の真逆のものを見事に選んで並べられたようなものだった。罪人こそ救われるのだから、大いに救いの手を差し伸べられているのだろう。その手が見えるかどうかは、僕の日常の暮らしぶりだと思う。  消費を煽る巨大看板に誘われて、開店して間もない24時間営業のスーパーに寄った。半額のシールが貼られた如何にも脂ぎった惣菜を、まだ帰宅途中と思われるような男性が次から次へと買っていた。気のせいか、それらを買う人達の体格がよく、メタボ最前線のように見えた。寝る前に、こんなに高カロリーなものを食べれば、脂ぎった肥満体にならないわけがない。便利の陰で払っている代償は大きい。気がつかない間にボデーブロウのように効いてくるだろう。この種の買い物が苦手で、気恥ずかしいので、欲しいものがあってもなかなか買えない。しかし、さすがに夜遅いこともあり、また、家から遠く離れたところなので、何か美味しいものでも買ってやろうと思った。ところが先ほどの告解で、贅沢も戒められたので、28円のうどんの玉を買って帰った。  自分の道を肯定して欲しかったのに、否定されるばかりだ。なかなかより良く生きるのは難しい。最低限のことだけで許してもらえればいいのだが、僕の最低限は、本当の最低限でどうも問題外のようだ。目指す山が高すぎたのか、落ちた谷が深すぎたのか分からないが、28円のうどんを家に帰って食べたら頭痛が治った。単にお腹が空いていて頭痛がしていたのか。本当は心が空腹で悲鳴を上げているのに。