印象

 そんないい笑顔がでればもう大丈夫だよね。  夕暮れになって、幼いお子さんとご主人を待っていると、息苦しくなって、じっとしておれず、つい救急車を呼んでしまうんだよね。死んでしまうんではないかと不安で仕方ないんだよね。ばりばりのキャリヤウーマンが一気に家庭の主婦に収まり、朝から晩まで子育てに懸命だったのだから、貴女自身の本来的な能力が生かせなかったんだよね。もうお子さんも学校に通うようになったのだから、再び貴女は自分の現場に帰っていけたんだよね。  複数のお医者さんが、それぞれ治療してくださったけれど、みんな治療方針が異なってその事自身も不安を増長させましたね。治療方針が異なるのはいいことかもしれませんが、薬物に頼りたくなかった貴女が、次第に薬物が増えるのは、それ自体恐怖でしたね。  貴女はまずお母さんの病気の相談に来させて、僕の腕を試しましたね。お母さんも貴女のために一生懸命だったのでしょう。僕は貴女を見て、病気だとか病人だとか思いたくなかったのです。今でも思っていません。とても素敵な、誠実に人生を歩んでいる女性が、ちょっと疲れただけ、ちょっと自由が欲しかっただけ、ちょっと生真面目すぎただけだとすぐ感じたのです。  何でもかんでも診断名がつき、薬がでて、病人になる。そんなものなのでしょうかね。悲しいとき、寂しいとき、不安なとき、昔の人はどうして治していたのでしょうね。悲しみに打ちひしがれ、不安になるのは病気なのでしょうか。薬で治すもの、薬で治るものなのでしょうか。  貴女は僕はお医者さんとは違うと言いましたね。そう、幸運にも僕はお医者さんほど立派ではないので、貴女と非常に近いのです。貴女が笑えば嬉しいし、不安げになると僕自身も不安なのです。治療している感覚なんてありません。気、血、水を漢方薬で整えることはしますが、同じ悩み多き人生を歩いている単なる同族と思っているのです。僕はパソコンに向いたまま貴女の話を聞く事なんて出来ません。貴女が美味しいコーヒーを飲んでくれ、美味しいパンを食べてくれながら話をしてくれるのを聞きたいのです。  現代社会は、突出した人達の個性には寛容ですが、地を這う人々の個性には厳しいです。認められなければ、心も身体も悲鳴を上げます。それが病気でしょうか。触れれば涙がこぼれそうになるほどの繊細で不器用な個性が病気でしょうか。傷つけることが苦手で傷ついてばかりいる個性が病気でしょうか。  貴女のような方と多く接して、最近こんな印象を持っているのです。