バトン

 次に電話をかけるのが億劫になった。これが大人の電話の取り方かと情けなくなる。声でしか想像はつかないが、僕よりずっと年上の人もいるし、少し若い人もいた。こう不快な受け答えが続けば業種の特徴かと思ってしまうが、毎回お願いしている中にとても素敵な若い奥さんが2人おられるらしい(チラシ担当の妻の印象)から、あながち職業柄とは言えないのだろう。  僕の薬局に来てくれるには遠すぎる地域からも、時々尋ねてきてくれる人達がいて、近くに漢方薬が分かる薬局がないから不便だと言われる。毎月僕が作るチラシを薬局で見ていて、家の近くでもまいてと頼まれることが時々あった。そこで今回、近隣にまくのを休んで、その方達の近くにまいてみようと思い、新聞の販売店を探した。ピックアップした10店に順番に電話をして依頼したのだが、10店中、「はい、○○新聞店です」と名乗ったのは2店だけだった。8店は「はい」と答えたままこちらの言葉を待った。いや、何も答えずに受話器を持ったままの店もあった。見ず知らずのところにかけるのだから要点を言う前に「○○さんですか?」とこちらが確認しなければならなかった。話の途中で不安になり、再確認した店もあった。不景気になれば、チラシが増えて、新聞屋さんは潤うなんて事を聞いたことがあるが、この殿様ぶりを垣間見ればなるほどと頷いてしまう。実るほど頭を垂れればいいと思うのだが、僕の年齢の前後の人で、その教訓を知らないはずがない。どこに最低限の礼儀さえ捨ててしまったのか分からないが、何とも不愉快な作業だった。  別に悪意があるのではないだろうが、どれだけ沢山の人を不愉快にしてきたのだろうと思ってしまう。注意する家族もいなかったのか、あるいは家風なのか知らないが、小さな心地よさのバトンタッチが、そんな人のところで途絶えるのはばからしい。小さな善意が循環してこそ、共に生きる意味がある。小さな感動、小さな親切、小さな善意、人から人に伝わってこそ意味がある。その年にもなって大切なバトンを落とさないで。