居場所

 生半可な暑さではないと思っていたら、やはり37度を超えていた。薬局に入って来るなり「ああ、涼しい」と感嘆の声を上げる人が多かったから、その反応だけでも並の暑さでなかったことが分かる。冷房の温度を、27度か8度に設定しているので、むちゃくちゃ冷やしているわけではないだろうが、外気との差が10度となると、さすがにひんやりと感じるのだろう。  僕より少し若い女性が、入ってくるなりその言葉を口にした。「ごめんね、別に好きで冷やしているんではないけれど」と答えると、「いいよ、私らは頭が悪いから暑いところで働かないとだめだけど、頭のいい人は涼しいところで働けるものね」と言った。文章に書いてしまうと、何か越えられぬ垣根があるように感じるが、実際には二人で笑顔で話しているから、そんなに陰湿な状況ではない。  その女性を僕は10年くらい前、直感で救ったことがある。ある薬を買いに来たのだが、尋常でないものを感じてすぐ病院に行くように勧めた。僕が薬を出さなかったので、その人もびっくりして、すぐ大きな病院に行った。そのおかげで若くして寝たきりになるのを防げた。そんな理由でその前も後もえらく信用されて利用してくれるのだが、不幸は自分ではなく旦那に襲ってきた。今では旦那の世話をしながら、戸外での仕事を、女手でこなしている。  そんな経緯を知っているから、今年の猛烈な暑さも応えるだろうと思って言ったのだが、さっきのような答えが返ってきた。今年は、暑がりで寒がりの子供が帰ってきたから、夏は冷房、冬は暖房を徹底しているが、去年までは、冷房のような、暖房のような状態にしていた。戸を開けてクーラーを使っていたのだ。それは、炎天下で働く人達への、ささやかな連帯の意思表示だったのだ。薬局の中央に立った人だけが、冷房や暖房の恩恵を受けれるようにしていた。僕の居場所にはあたらないようにしていた。だから入ってきた人達に素直に暑いですねも、寒いですねも言えていた。ただ、今年からは、完全にクーラーの恩恵にあずかっているから、寒いも暑いも、白々しくて言えなくなった。  頭で働き場所が決まるかどうかはさておいて、タオルを首にかけ、汗を拭きながら入ってくるそんな人達が好きだ。日に焼けて真っ黒を恥じる人達が好きだ。汗くさいTシャツが、塗れているのが好きだ。ずーっとそんな人達と過ごしてきた。これからもきっとそうだ。僕もあの女性も今の居場所以外にはないのだ。