紫蘇ジュース

 紫蘇という植物は生命力が強いのだろう、母の石ころだらけの畑でも良く育ち、ジュースの材料には事欠かない。次から次へ葉を茂らすので次から次へ母がジュースに姿を変えて持ってくる。そのジュースを次から次へ薬局に来てくれる人達に飲んでもらう。母が直接運ぶこともあるし、家族が運ぶこともある。  紫蘇の香ばしさは、誰もが知っている。クエン酸と砂糖の共演でとても美味しい飲み物になる。飲み物になっても紫蘇本来の薬効は保たれると思う。と言うのは僕は紫蘇の葉っぱが使われる漢方薬をよく飲んでもらうのだ。1日何人かが紫蘇の葉っぱが入っている漢方薬を飲んでいる。そんな紫蘇の葉っぱに期待している薬効は、心を軽くすることだ。西洋のハーブと同じ理屈だと思うが、漢方の世界でも落ち込んだ心を癒すためにハーブ効果が利用されるのだ。科学が未熟な時代に、西洋も東洋も心の薬としてハーブを利用したことを偶然の一致とは思えない。嗅覚が大脳に及ぼす影響を個人は感じていたのだ。  小学校の保健委員会と言うのに出席した。去年お願いした、生徒の心の健康について養護の先生が調査してくれていた。身体についてはかなり行き届いた医療環境にあるからあまり心配はないが、心についてはまだまだ環境が未熟だから、寧ろ心の健康に留意すべきだとこの数年感じていた。心の不調はなかなか外部には探知できないことが多いので、生の声を聞くべきだと思っていた。子供が悲鳴を上げているかもしれない。それが気になっていた。  子育ては大変なこともあるだろうが、出席していた親を見ていてうらやましいなと感じた。子育ての現役達は見ていて充実感がある。それに引き替え、出席したお医者さんも歯医者さんも、勿論僕も子育て卒業世代だから何となく気概に欠ける。帰りの車の中で歯医者さんが僕の感慨に同調してくれた。同じように感じているんだなあとその事が又感慨深かった。  どうも紫蘇のジュースが必要なのは、漢方薬を取りに来る人達ではなく、漢方薬を作っている僕の方かもしれない。冷蔵庫にいっぱいあるから、心が赤くなるまで飲んでやろうか。