まかれた種が道端だったら鳥にすぐ食べられ、石だらけで土が少ないところだったら、すぐに芽を出すが、日が昇ると焼けて根がないために枯れてしまう。イバラの間に落ちた種は、イバラが伸びて成長を妨害される。土壌豊かな畑にまかれた種だけが、百倍もの実 を結べる。  こんな教訓を2000年前に述べた人がいる。この話を聞いて僕は、ああ、僕は石だと思った。いくら良い種をまかれても、僕が何も寄せ付けない石なら何も実らせないだろうと思ったのだ。良い話を聞き、有り難い忠告を聞き、親切な助言を得ても、僕にはよい耳も、素直な心もないから、何も生まれないだろうと思ったのだ。何十年も、心の中を耕して、立派な土壌にするのを怠っていたから、まかれた種は、焼けるか飛ばされるか、鳥に食べられるか、決して実りはしなかった。多くの種はまかれたに違いないが、何も実りはしなかった。  大人になるに従って、多くを得、多くを失った。得たもののほとんどは世俗的なもので、失ったもののほとんどは心だった。何ででも代用できるようなものを得、何にも代え難いものを失った。不純をまとい、善なるものと隔離され、土にまみれることはなかった。セメントのように硬直した心に何も実るはずがない。ぬかるみに足を取られもがいていたら、まかれた種は実を結んだかもしれない。居心地は生き心地とは似て非なるもの。