猛暑日

 なるほど、ガソリンの値段が上がっていることを実感した。日曜日以外、車を使わないのでガソリンはそれほど頻繁に入れない。前回いつ入れたのか分からないが、今日は満タンにしたら1万円では足りなかった。恐らく1万円で足りなかったのは初めての経験だろう。朝8時頃だったと思うが、セルフのスタンドに、僕1人だった。都会からやってくるセールスが、交通量が減っているなんてことを教えてくれるから、その気になって見ていたが、行き来する車の数の減少までは実感できなかった。寧ろ意識してみれば、これほどガソリンが上がっても、結構日曜日に車は走っていて、実際にはそれほど家計に響いていないのではないかと思ったりした。ニュースでは、通勤の足を車からバイクにしたり、バイクから自転車にしたりするのを取り上げていたが、果たしてそこまでする人がどのくらいいるのだろう。豊かさに慣れた人々が、何の努力をするというのだろう。持たなくてもいいものを一杯持つ人達が何を倹約するというのだろう。恐らく、家計の破綻が見えてこない限り、従順な消費者であり続けるのだろう。  不必要な行楽のためのガソリンなら、値段が上がって多くの人が車を走らせなくなるのもひょうたんからコマだ。しかし、職業的に油を利用する人達にとっては死活問題だ。牛窓は漁業も盛んだから、他人事ではない。今週の全国的な休漁にも参加するらしい。パソコンに向かって、ただ大量の金を動かすだけで利益を得るような人間が、世界中で、貧困を加速させている。合法的だから処罰も出来ないだろうが、いわば合法的な犯罪だ。金のためなら何をやってもいい。億の単位の人達が飢えてもいい。貧困層の人達と接点もないから、罪悪感なんてさらさら無いのだろう。  猛暑日がそろそろ伝えられるようになった。自然の災いも貧乏人から襲ってくる。人間が作り出した災いも、貧乏人から襲ってくる。まるで淘汰を待っているようなものではないか。木陰からはみ出された虫けらが、コンクリーの上で焼けていた。