「生まれたんですね」「可愛いね」「おおきくなっているね」「もう巣立ち寸前ですね」ツバメは得な鳥だ。巣の下を通る人達の興味を引き、しばしば振り返って感想を述べられる。用事が終わって帰っていく人の頭上に巣はあるので、餌を待つ雛の声で見上げると可愛い姿が見れる。  ところが僕は何故か今年は今日まで、まじまじと雛たちを見ていなかった。今日ある方にもう巣立つよと言われ、入り口まで誘導されたので見ざるを得なかった。なるほど4羽のツバメがもうほとんど親と変わらない大きさで窮屈そうに巣の中で餌を待っていた。時折親が駐車場のコンクリートの上に降り立ち、早く飛び立つように促していた。  何故この1月の間、ツバメに興味を示さなかったのだろう。自分でも不思議だ。いやでも目に付くところにいたのに、何故目の中に入らなかったのだろう。この間、何を見ていたのだろう。何に興味をそそられていたのだろう。それとも何にも関心を示さず、ひたすら働いていたとでも言うのだろうか。貧しい国、自由がない国の台風の惨禍が気になっていたのか。1日100円以下で暮らしている暑い国の人達が気になったのか。そんなこと気にしなくても楽しく生きていける豊かな国のことが気になったのか。金が金を生み、暴走する豊かすぎる人のことが気になったのか。上にも下にも程々の枠組みが無くなったことが気になったのか。1日中飛び回り、けなげに餌を運ぶツバメの姿に心を打たれる自分がいやだったのか。天敵のいない人間様のおごりが気になったのか。 烏にやられないようにしてくださいねと、優しい言葉を残して帰っていく。この優しさのどれくらいが同じ人間に向かっているのかと思う。そして弱いものを守ろうとする自然な感情のどのくらいが、同じ人間にむけられているのかと思う。この1ヶ月、僕はうつむき加減で暮らしていたことだけは確かだ。見上げるものは何もない。夜の壁に朝陽を貼り付けても暗闇は破れない。