圧倒的な表現の前に打ちのめされることがある。人生でそんなに出会えるわけではないが、チャップリンの独裁者の中の演説は、数少ない中の一つだ。何気なく見始めた映画に徐々に引き込まれ、最後はあの演説で打ちのめされた。チャップリンの意図に誘導された優等生的な観客かもしれない。あの映画を見たのは何歳の時だったのだろう。牛窓に帰っていた。子供達もいた。手に入れたものが増え始め、失うことが怖くなり始めたときだ。臆病になりかけていた頃だから、あの勇気には後ろめたさを禁じ得なかった。ただその後ろめたさも、時が経つにつれ、持てば持つほど色あせて保護色にもなりえなかった。

「申し訳ない・・・私は皇帝になりたくない、支配はしたくない、できれば援助したい、・・・人類はお互いに助け合うべきである、他人の幸福を念願としてお互いに憎しみあったりしてはならない、世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意志を通じさせず機械は貧富の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になった。思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。航空機とラジオは我々を接近させ、人類の良心に呼びかけて世界をひとつにする力がある。・・・・ハンナ・・・聞こえるかい、元気をお出し・・・ご覧、暗い雲が消え去った、太陽が輝いてる、明るい光がさし始めた。新しい世界が開けてきた、人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ。人間の魂は翼を与えられていた、やっと飛び始めた、虹の中に飛び始めた、希望に輝く未来に向かって。輝かしい未来が君にも私にもやって来る、我々すべてに!ハンナ、元気をお出し!・・・」

何十年に渡って色あせない言葉。現代にも重くのしかかっている命題をチャップリンは言い当てている。洞察力が悲しい笑いで覆われて鋭く訴えてくる。心に錨を結びつけ海底の泥の中に沈めても、色あせた後ろめたさまで隠せはしない。