喝采

 20年前、町内にバレーボールのスポーツ少年団を作った。仕事柄それに没頭できないのでコーチとしていつも補佐をしていた。熱心な指導者がいて彼が監督をずっとやってくれている。年度によってずいぶん差はあるが、素質がある子供達が揃ったときには田舎町のハンディーは感じられなかった。  年間を通して忙しいくらい試合があり、色々なところに出かけていった。熱心な親がいつも応援に来てくれていた。県内でベスト8まで行ったこともあり、その時には名門中学から誘いもあった。試合は勝たなければならないらしくて、いつもベストメンバーだった。常時出場する子は決まっていて、なかなかそれ以外の子供達には出番がなかった。生徒数が少ない町だから、メンバーは少なく、試合に出れない子の方が寧ろ少なかった。僅か数人がいつも試合になると応援か、運が良くてもピンチサーバーくらいの出番だけだった。僕は監督でないから、選手の起用に権限がなく、いつも控えの子供達のことが気になっていた。楽しそうに試合の時以外は一緒に遊ぶ子供達に、心の垣根を作ってしまっているように感じて心苦しかった。  ある時、僕だけが引率して試合に行ったことがある。僕はその時、いつも控えに回っている子供達を、一番脚光を浴びるポジションで先発起用した。当然負けたのだが、それは大した問題ではない。長年、同級生のためにコートの外で応援し続けた子供達に報いたかったから。僕がショックを受けたのは、応援している親が途中から会場を出ていったことだ。それも、今まで常に脚光を浴びていた子供の親たちが。自分の娘がコートの上にいないから応援する気にならなかったのだろう。今まで、その立場に数年甘んじてきた子供やその親のことは頭によぎらなかったのだろうか。バレーが少し上手いくらいで、人格に何ら差があるはずもない。バレー以外のところで、それぞれの子供達がそれぞれの才能を持っている。何故あの時下積みの子供達に最大限の応援を送らなかったのか。  優劣を測るものは巷に溢れ、競い合いを強いられ、まるで競馬の馬のように走り続ける。鞭をいれられただただ走り続ける。一番でテープを切るために。人生で一番のテープは何なのか。幼いときから喝采を受け、名声を高めることか。多くの人を従え、多くの富を手にすることか。  コートに立てない子は補欠ではない。誰もが主役だ。バレーで勝つってことは先に21点とることではない。勝つってことは、持って生まれた才能で差別し人を傷つけないこと。どの子も等しく喝采を浴びること、僕はそう思っていた。試合で負けても想いで勝てばいい。